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腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
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娘が来る日も来る日もチョコボール食って、
(あくまでも娘は「食って」。買っていたのはあたくし(笑))
集めた銀のエンゼル5枚で送られてきた!
母も実物を見たのははじめてだったよ


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キャラメリーさくらチョコレートラテ
超うまし


今年もお雛様を出しましたよ、と。
去年は猫を警戒して出さなかったんだけど、さすがにお人形がかわいそうかと今年は出すことに。
この部屋に猫は入れないことにしたんだけどはてさて無事に済むか否や。


お値引きシールならぬ、まさかのお値上げシール。
隣の三本入りのと間違えて貼ったと思われる。

1/24の写真を何故今頃あげたかというと、今まで画像の加工の仕方がわからず、お店の名前が隠せなかったから


ちょっと前の新聞に、
千葉県いすみ市の日月神社にあるホルトノキが天然記念物に指定されたという記事が載っていて、
機会があれば行ってみたいとおしゅーとめちゃんが言っていたので、
午後からちょいといすみ市まで足を運ぶことにしました。
いすみ市はチーバ君で言うと腰の辺り。

房総横断道路を南下していすみ市へ。
大原交差点を右折。
大きい道をみちなりに、いすみ市役所を右に見ながら更に進む。
1.5kmほど先の交差点を左折。
後は左側を注意しながら400mほど進むと、左に鳥居が見えますのでわかります。
鳥居に向かって小さな橋を渡って、くるりと時計回りに回ると参道を横切るようにして駐車スペースへ。



日月神社 拝殿。
向かって右奥に、目指すホルトノキはあります。


これがホルトノキ。
いすみ市が建てた真新しい看板があるのですぐわかります。

ホルトノキの特徴は、この板状の根。

うちのおしゅーとめちゃんはこの木を沖縄旅行で観光したそうで、これが千葉県でも見られるなんて!といたく感動しておりました。
実際、日本での分布は「本州西側、淡路島、四国、九州、沖縄」、あとは、「台湾、インドシナ」だそうで、基本あったかいとこの木。
なのに何故か千葉県にはチーバ君の下半身辺りにちょいちょい生息してるんだそう。
このいすみ市にあるホルトノキは樹齢200年以上と推定されていて、たぶん、ホルトノキの北限なんじゃね、とのこと。

ホルト、とはポルトガルの事で、直訳すると「ポルトガルの木」。でもこの木はポルトガル原産ではない。
では何故こんな名前が付いているのかと言うと、まず、ポルトガル原産だと誤解されてた説が一つ、それから、江戸時代、オリーブ油のことをホルト油(ポルトガル油)と呼んでいたそうで、オリーブによく似た実が付くこの木が、オリーブと誤解されてオリーブの木、という意味でつけられたという説の二つがあるそうで、どっちにしろ誤解に基づく命名っぽい。ホルトノキかわいそす。


狛犬さん。
どちらか片方が仔をつれてるのはよく見るんですが、
ここの狛犬さんはなんと二つとも仔を連れていました。4人家族!
右の狛犬の仔がお乳を飲んでるっぽいので、右の狛犬さんがお母さんでしょうか。
左は逃げ出そうとしているやんちゃな仔を、お父さんががっ!しているようにも見えます。
この台座に「嘉永2年(1849)己酉8月吉日建立」と刻んであります。
1849年というと、第12代将軍徳川家慶の頃です。
160年以上前とは思えないほど綺麗な状態で残っている狛犬さんに感動しまくりでした。


日月神社にお参りした後は、そこから来た道を戻り、大原交差点を右折。
房総横断道路を更に南下して、大原漁港入口交差点を左折。
道なりに進んで、大聖寺というお寺に行きました。
こちらは「波切不動」と呼ばれていて、国の重要文化財に指定されている不動堂があります。

手前の建て看板には、「伝説によれば、宝治二年(1248)、地元の漁師小浜道猷の妻が海藻を獲るとき海中で不動明王像を発見し、安置した」と書かれています。
が、いすみ市教育委員会発行の「いすみの民話」ではちょっと違うお話になっているらしい。
“むかし鎌倉時代の話です。大原に貧しい漁師の親子が住んでおりました。
父は魚を取っては売る暮らしですが、母は病弱でふせっておりました。
一人娘の名はお丹といい、炊事・洗濯・掃除など家事一切を母の代わりにこなし、さらに余った時間は浜に出て貝をひろい、流れ着いた海藻をひろっては暮らしのたしにしておりました。お丹はたいそう信心深く、母の病が癒えますようにと毎日ご先祖様に祈っておりました。
ある日のことです。いつものように流れ着いたワカメやカジメ、テングサなどの藻くずをひろっていると妙に重いのです。お丹が藻くずを取り除けてみると、それは砂にまみれた小さな石のお不動様でした。お丹はお不動様を海水で洗い、砂を落とし、井戸の水できれいに清めて自宅に仮のお堂を作って安置しました。
毎日毎日、お不動様に水を差し上げ、野の花を活けて大切に拝んでおりました。
すると不思議なことにしだいに暮らし向きは良くなってきたのです。母の病気もだんだん良くなってきました。これはお不動様のおかげだと、前よりも一層熱心に拝みました。

貧しかった漁師の家がしだいに豊かな暮らしをするようになると、この話は近所でも評判になり、お不動様をぜひ拝ませてほしいという人も増えてきました。
お不動様を信心する人々が増えるにつれ、こんな歌もはやりました。

あら不思議やな あら不思議
モクの中から銀色に、光り輝く不動様 
お姿尊と、あら尊と

人々が大勢参拝に来るようになると自宅のお堂ではせまくなり、もっと広い場所に新しいお堂を建てることになりました。このお堂は大原漁港に近い高台にあり、今は関東36不動霊場の35番札所の大聖寺不動堂と呼ばれ、人々は親しみを込めて「波切不動様」と呼んでいます。
またお丹がお不動様を発見した浜辺は「丹が浦」と呼ばれるようになりました。“
どっちにしろ鎌倉時代に近くの浜で女性が不動明王を見つけた、って事だけは確かのよう。

私としては、シチュエーションが詳らかになってる民話の方が寺伝承より好みかな。
丹ヶ浦という浜辺は、このお寺の近くにあります。

ちなみにこの不動堂の建築様式は室町っぽいらしい。



こちらの狛犬さんはお目目がまん丸で大きくて、ちょっとひょうきんなお顔をしていました。


ところで、夷隅は、来るたび思うんだけど、なんというか、ちょい元気がない町なんだな。
海沿いの町なので、夏の行楽シーズンには元気になるのかもしれないんだけど、冬はもう、なんだか萎れきってる町という感じ。ぶっちゃけ過疎ってる。

房総横断道路沿いのいすみ市しか知らないけど、茂原から一宮をとおって夷隅に入ると急に寂れる。んで、荒れた造成地やら潰れた店舗やらがずーっと続いて、大原漁港の辺りで急に活気付いたと思ったらすぐ御宿に入っちゃうのね。で、更に行くともう勝浦エリア。

いろいろと興味深いスポットとかいっぱいあるんだから、もっと頑張れ夷隅!
・・・と思っていたらば、なにやら通りのあちこちに「波の伊八めし」というのぼりの建った店がある。

うむ。これは・・・あれだね、館山のおらが丼的なやつだね!
いわゆるご当地グルメ丼!

と、テンション上がったのだが、ちょっと時間が中途半端すぎでチャレンジならず。
近日中に食べに行きたいと思っています!まじで!

「波の伊八」については、気力が尽きたので説明割愛。各自ぐぐれのこと。
emoji謹んで新年のお慶びを申し上げますemoji

  息子が描いた、なんとかいう羊のポケモン



娘が羊毛フェルトで作った羊…らしい。
【炬燵】
「こたつ」の語源は、設置すると、必ず猫が集まってくるため、「猫達」から、ねこたち→ねこたつ→こたつ、と変化していったものだと言われている。
(usopediaより抜粋)
オーシャンビュー




イワシ三昧定食

うまし


金目鯛の煮付け定食

おしゅーとめちゃんが頼んだ奴
ネコ共がコタツの中で、
 
このような鉄壁の布陣で寝ているので、人間様が足を入れるところがない。

私はこれを
トライアングルフォーメーション
そう名づけたよ。
プロフィール
HN:
玉撫子薫
性別:
女性
職業:
腐れ専業主婦
自己紹介:
仙台市出身。千葉県在住。
旦那様と息子と娘と猫3匹。
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