忍者ブログ
腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
Admin / Write / Res
<< 04   2024/05   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31     06 >>
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

明日から田植えの予定。
そいでもって、今年もGWは田植えとパパのお仕事で子供達をどこにも連れて行けないので、
今日はちょっくしドライブに行くことにしました。

まずは、いすみ市飯綱寺。
ここには「波の伊八」と称された宮彫師、武志伊八郎信由の欄間彫刻があります。

仁王門。


仁王門の仁王様。

仁王門をくぐると左側に事務所。
事務所で拝観料を納める。
大人300円。子供達は就学生なので無料とのこと。ありがたい。


手水場。

お庭がすごく綺麗に整えられていて、お花が咲き乱れていました。
華やかなのに静謐という独特の空間。







鐘楼。
鐘をついてもいいですよと言われたので、息子がwktkしながら鐘をつく。
この鐘楼も彫刻がいっぱい施されていて見ごたえあり。




飯綱寺はその名の如く、飯綱権現を祀っている。
飯綱って狐だと思い込んでいたんだけど、正しくは天狗様。
白狐に乗った烏天狗様なんだそう。
と言うわけでこのお寺の意匠も天狗の羽団扇。カッコイイ。

 
本堂。
正面に赤と青の天狗の大面が飾ってある。
青が烏天狗で赤が大天狗…かな?かな?

この中の欄間がかの波の伊八の作なのだが、写真撮影はNGとのこと。
正面に「天狗と牛若丸」、左右に「波と飛龍」。

いやあ、実に見事でした。
欅の一枚板を立体的に彫ってあるんですが、これが一枚板とかマジパネェ的な。
3D彫刻。
そいでもって彫られている飛龍がまたすごい。
ちょっと西洋のドラゴンっぽくもある、羽のついた竜なんだけど、圧巻。
これは一見の価値があります。

つかね、竜とか天狗とか、いちいちカッコイイんだけど。このお寺。

PR
ちょっと前の新聞に、
千葉県いすみ市の日月神社にあるホルトノキが天然記念物に指定されたという記事が載っていて、
機会があれば行ってみたいとおしゅーとめちゃんが言っていたので、
午後からちょいといすみ市まで足を運ぶことにしました。
いすみ市はチーバ君で言うと腰の辺り。

房総横断道路を南下していすみ市へ。
大原交差点を右折。
大きい道をみちなりに、いすみ市役所を右に見ながら更に進む。
1.5kmほど先の交差点を左折。
後は左側を注意しながら400mほど進むと、左に鳥居が見えますのでわかります。
鳥居に向かって小さな橋を渡って、くるりと時計回りに回ると参道を横切るようにして駐車スペースへ。



日月神社 拝殿。
向かって右奥に、目指すホルトノキはあります。


これがホルトノキ。
いすみ市が建てた真新しい看板があるのですぐわかります。

ホルトノキの特徴は、この板状の根。

うちのおしゅーとめちゃんはこの木を沖縄旅行で観光したそうで、これが千葉県でも見られるなんて!といたく感動しておりました。
実際、日本での分布は「本州西側、淡路島、四国、九州、沖縄」、あとは、「台湾、インドシナ」だそうで、基本あったかいとこの木。
なのに何故か千葉県にはチーバ君の下半身辺りにちょいちょい生息してるんだそう。
このいすみ市にあるホルトノキは樹齢200年以上と推定されていて、たぶん、ホルトノキの北限なんじゃね、とのこと。

ホルト、とはポルトガルの事で、直訳すると「ポルトガルの木」。でもこの木はポルトガル原産ではない。
では何故こんな名前が付いているのかと言うと、まず、ポルトガル原産だと誤解されてた説が一つ、それから、江戸時代、オリーブ油のことをホルト油(ポルトガル油)と呼んでいたそうで、オリーブによく似た実が付くこの木が、オリーブと誤解されてオリーブの木、という意味でつけられたという説の二つがあるそうで、どっちにしろ誤解に基づく命名っぽい。ホルトノキかわいそす。


狛犬さん。
どちらか片方が仔をつれてるのはよく見るんですが、
ここの狛犬さんはなんと二つとも仔を連れていました。4人家族!
右の狛犬の仔がお乳を飲んでるっぽいので、右の狛犬さんがお母さんでしょうか。
左は逃げ出そうとしているやんちゃな仔を、お父さんががっ!しているようにも見えます。
この台座に「嘉永2年(1849)己酉8月吉日建立」と刻んであります。
1849年というと、第12代将軍徳川家慶の頃です。
160年以上前とは思えないほど綺麗な状態で残っている狛犬さんに感動しまくりでした。


日月神社にお参りした後は、そこから来た道を戻り、大原交差点を右折。
房総横断道路を更に南下して、大原漁港入口交差点を左折。
道なりに進んで、大聖寺というお寺に行きました。
こちらは「波切不動」と呼ばれていて、国の重要文化財に指定されている不動堂があります。

手前の建て看板には、「伝説によれば、宝治二年(1248)、地元の漁師小浜道猷の妻が海藻を獲るとき海中で不動明王像を発見し、安置した」と書かれています。
が、いすみ市教育委員会発行の「いすみの民話」ではちょっと違うお話になっているらしい。
“むかし鎌倉時代の話です。大原に貧しい漁師の親子が住んでおりました。
父は魚を取っては売る暮らしですが、母は病弱でふせっておりました。
一人娘の名はお丹といい、炊事・洗濯・掃除など家事一切を母の代わりにこなし、さらに余った時間は浜に出て貝をひろい、流れ着いた海藻をひろっては暮らしのたしにしておりました。お丹はたいそう信心深く、母の病が癒えますようにと毎日ご先祖様に祈っておりました。
ある日のことです。いつものように流れ着いたワカメやカジメ、テングサなどの藻くずをひろっていると妙に重いのです。お丹が藻くずを取り除けてみると、それは砂にまみれた小さな石のお不動様でした。お丹はお不動様を海水で洗い、砂を落とし、井戸の水できれいに清めて自宅に仮のお堂を作って安置しました。
毎日毎日、お不動様に水を差し上げ、野の花を活けて大切に拝んでおりました。
すると不思議なことにしだいに暮らし向きは良くなってきたのです。母の病気もだんだん良くなってきました。これはお不動様のおかげだと、前よりも一層熱心に拝みました。

貧しかった漁師の家がしだいに豊かな暮らしをするようになると、この話は近所でも評判になり、お不動様をぜひ拝ませてほしいという人も増えてきました。
お不動様を信心する人々が増えるにつれ、こんな歌もはやりました。

あら不思議やな あら不思議
モクの中から銀色に、光り輝く不動様 
お姿尊と、あら尊と

人々が大勢参拝に来るようになると自宅のお堂ではせまくなり、もっと広い場所に新しいお堂を建てることになりました。このお堂は大原漁港に近い高台にあり、今は関東36不動霊場の35番札所の大聖寺不動堂と呼ばれ、人々は親しみを込めて「波切不動様」と呼んでいます。
またお丹がお不動様を発見した浜辺は「丹が浦」と呼ばれるようになりました。“
どっちにしろ鎌倉時代に近くの浜で女性が不動明王を見つけた、って事だけは確かのよう。

私としては、シチュエーションが詳らかになってる民話の方が寺伝承より好みかな。
丹ヶ浦という浜辺は、このお寺の近くにあります。

ちなみにこの不動堂の建築様式は室町っぽいらしい。



こちらの狛犬さんはお目目がまん丸で大きくて、ちょっとひょうきんなお顔をしていました。


ところで、夷隅は、来るたび思うんだけど、なんというか、ちょい元気がない町なんだな。
海沿いの町なので、夏の行楽シーズンには元気になるのかもしれないんだけど、冬はもう、なんだか萎れきってる町という感じ。ぶっちゃけ過疎ってる。

房総横断道路沿いのいすみ市しか知らないけど、茂原から一宮をとおって夷隅に入ると急に寂れる。んで、荒れた造成地やら潰れた店舗やらがずーっと続いて、大原漁港の辺りで急に活気付いたと思ったらすぐ御宿に入っちゃうのね。で、更に行くともう勝浦エリア。

いろいろと興味深いスポットとかいっぱいあるんだから、もっと頑張れ夷隅!
・・・と思っていたらば、なにやら通りのあちこちに「波の伊八めし」というのぼりの建った店がある。

うむ。これは・・・あれだね、館山のおらが丼的なやつだね!
いわゆるご当地グルメ丼!

と、テンション上がったのだが、ちょっと時間が中途半端すぎでチャレンジならず。
近日中に食べに行きたいと思っています!まじで!

「波の伊八」については、気力が尽きたので説明割愛。各自ぐぐれのこと。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋 ←今ここ



PM.16:12

八遺臣の墓を降りて、完全に館山城の山の裏側に出てしまった我々は、
山裾をぐるっと回って駐車場に戻りました。

すっげー歩いた。

さすがの子供達も体力限界っぽいです。

でも、駐車場の横にある軽食&おみやげやさん「里見茶屋」をまだ見てなかったので、娘と一緒に行くことに。
息子と旦那は車に乗ったきり動こうとしない。お疲れ。


でも女子はお土産屋さんが大好きなものなのよ!

・・・と、期待に胸膨らませていったんですが、
あーうー(涙)

またもがっかりポイント。

買いたいと思えるものが何一つないー・・・!



あー・・・ここもかー・・・ここもなのかー・・・
なんなのもう南房総ー・・・
どこもかしこもキュピーン!とくるおみやげがないよー・・・


なんか渋い和手ぬぐいはある・・・。渋すぎる・・・もちょっとかわいい八犬伝ハンドタオルみたいなんはないの?
キティちゃん伏姫でいいからミニタオル置こうよ・・・


仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉・・・。でけぇよ、高ぇよ・・・。一個3000円て。8個そろえたら大枚だよ・・・。
もちょっとこう、こういう、壊れ物系のがっつり本気の感じのじゃなくて、もう少し手の出しやすい・・・8個セットでおまとめ買いのしやすい・・・
あーあー、あの、あれあれあれ、ほら!ドラゴンボールのスーパーボールあるじゃん!四星球とかのやつ!あれの八犬伝バージョン作ろうよ!
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の字のついた8個のでかめのスーパーボールガチャポンにしてさー、一回200円とかでさー、里見茶屋に置こうよ!

それとかさ、数珠!仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の数珠!
あのー、そんな思いっきりお値段本気の奴じゃなくてさ、いやもちろん、本気のもあったっていいけども、八犬伝ファンって子供も多いよ?ほら、アニメとかで入る子も多

いしさ。
そういう子向けの、ややちゃちい、手の出しやすいお値段の、数珠ってより、ブレスレット的な趣の強い奴!


携帯ストラップ・・・ああああ、惜しいぃぃぃー
すげぇ可愛いキャラクター展開してるー何これー伏姫たん可愛いーーやればできるじゃん、こういうのを求めてたのよーーでも惜しいいいいいいなんか惜しいぃぃぃー
キャラクターは文句なく可愛いのに、ストラップのデザインが悪い!悪すぎる!
えっと、これもしかしてあれなのか、ストラップと銘打ってはいるが、基本、携帯電話につける事を想定されてないのか?
八種類あって、それぞれの玉に伏姫たんがついてるんだけど、なんての、あのー、金属の板に伏姫たんのイラストが付いてる奴なのね。
これ、このままつけたら、携帯に傷つくんじゃね?
しかも高い!
一個1000円て!
ああ…半額義援金にするのねー…あー…。え、それなら定価を500円にしてもらって、募金箱に500円入れたいな。なんか、なんか、どうなの、これ。いやいいんだけど。
そんでさ、そんでさ、これ、八種類あるけど、八種類買っても何も面白みがないよね?
八つ繋げられるとか、付け替えが出来るとか、そういうのない。
八つ買って携帯につけたら八人の伏姫たんがジャラジャラするだけ!

あああああ、もおおおおおーーー

コレジャナイ感はんぱないーーー

あのさあのさ、八犬士でさ、8でさ、玉が8個っていうわざわざおいしい設定があってさ、
んでさ、人間っつうのはさ、大概の場合、収集ということに本能をかきたてられるものでさ、
ドラゴンボールだって集めるものなわけでさ、

八犬伝の玉も集めたいじゃない、8個。
8個集めて達成感を持ちたいじゃない。

そういう、なんての、収集欲?みたいなものをかきたてられるものが、ここにはなーーーーーーーんもない。

伏姫たんストラップも8個集めてもなーんにも面白くない。

これならいっそ、大き目のプラスティックの玉8個に「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」入れて、ストラップ紐通しただけのものを売られたほうが全然嬉しい。
それを8個買ったほうが、集めたーーー!っていう達成感がある気がする。

残念。ほんと残念。

伏姫たんもったいない…可愛いのに…すごく可愛いのに…。

この伏姫たんの可愛さはぜひこのままにしておくとして、この酷いデザインだけ何とかならんものか・・・
つか、このイラストはストラップ向きじゃないんじゃない?
ハンカチとかの方がよくない?
それか、お守り袋にするとか、プラスティックタンブラーの中の絵にするとか、クリアファイルにするとか、絵葉書にするとか、ミニカレンダーにするとか、
缶バッジにするとか、ご当地ペットボトルにラッピングするとか、伏姫たん饅頭作ってしまうとか、

ストラップにこだわるんなら、せめて金属板じゃなくて塩ビのプレートにするとか、ラバーストラップにするとか、携帯クリーナーにするとか。
リボンタイプ?のビニールストラップにして、玉を後付でつけられるようにするとか、

あとは、伏姫だけじゃなく、八犬士全員デザインしてしまって、伏姫と八房合わせて全10種類にしてコンプリートするとか。

なんかもうもったいないよーーーーーー!!!

こんなにこんなに素材はあるのにあるのに、なんかもうもったいない。そう!モッタイナイ!!

南房総~館山ときて、とにかくとにかく常に思ったのは、「モッタイナイ」!!!

伏姫籠穴にしろ、犬掛にしろ、滝田城にしろ、館山城にしろ、道の駅にしろ、みんなみんなモッタイナイ!!
あとほんのちょっと、ほんのちょっとの工夫ですごくいろいろもっともっといいものになるはずなのに、それがなされてない!
もったいないんだよ!
こんなにこんなにいい素材を持っているのに!!

日本文学史上における大傑作だというのに、何故か安房の国の人たちは「南総里見八犬伝」というこの作品に対して、ぜんっぜん畏敬の念がない!
とにかくそれを強く強く感じるんだ。全体的に。

・・・・・・・・・あんまり言いたくないけど、館山城の人や里見茶屋の人も八犬伝読んでないっぽいとんちんかんな受け答えする人いたよ。

里見家という大名に対してもあんまりリスペクトないよね。
おらが殿様って地元でもっと愛されてるイメージだったから、安房の里見家に対する関心の薄さは冷淡にすら見えた。

改易された大名だからかなと思ったんだけど、山形に行ったときは、最上家に対する山形市民の愛みたいなのは、もう、びんびん伝わってきたよ。
最上家も改易されてる上に、伊達政宗人気のあおりを食らって風評被害受けまくりの大名なんだけども。

なんかね、色々調べてたら、転封された鳥取県の方が、里見リスペクトな感じがシテシマッタヨ。


今回、二度目の南房総観光だったんだけども、予習のおかげもあって、がっつり八犬伝堪能しました。堪能した分だけ、がっかりポイントに辛口になってしまった。
でも、どれもこれも、南総里見八犬伝という作品をただひたすらに愛してやまないからなんだー!!!
そんでもって、もっともっとみんなにこの作品が愛されて欲しいんだーーーー
南房総のみならず、千葉県が、いや日本が、全世界に向けて誇れる作品だと思うんだよ。

今年、館山に来たら、里見10代を大河ドラマにしよう!というキャンペーンをあっちこっちで見た。
これを機会に、南房総が里見氏と、あと、里見八犬伝を、もっともっと外部に向けてアピールしていって欲しいな、と思う。

つかそもそも、里見家の歴史小説ってないからね。出して欲しいよね。
あと、wikipediaなんかの歴史認識と、市のそれとに齟齬があるので、そこんとことか、一番新しい学説ではどうなってるのかとか、知りたいよね。


そんなわけで、今回の八犬伝めぐり旅は館山城で締めとなりました。
子供達は帰路熟睡でございました。
お疲れ様です。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓 ←今ここ
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



PM15:47

前回後半の与太話はさておき、次は、館山城の南麓へ。


ここに、八犬士のモデルだといわれている八遺臣の墓がある。

 

里見氏は10代忠義が末代で、その後、改易され断絶しているのだが、この忠義が死去した時に8人の側近が殉死し、忠義

と共に葬られ「八賢士」と讃えられた、と伝えられている。

この「八賢士」が「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルではないかと言われている。

で、ここにその八賢士の墓があるとのことなんだが、はて。

最後の里見当主となった里見忠義という人は、実は館山市ではなく鳥取県で亡くなっている。
どういうことかと言うと、忠義の正室は江戸幕府老中の大久保忠隣の孫娘なんだけれども、この大久保忠隣という老中が

、かの有名な大久保長安事件を受けて失脚してしまうんだが、里見忠義はこれに連座して、館山藩主から伯耆倉吉藩主に

減封されてしまうのだ。
伯耆国というのが今の鳥取県。倉吉藩は倉吉市として今もある。

当時の里見忠義の所領は、館山藩の9万石に戦功の常陸鹿島3万石の計12万石。
これが、事件の連座として、まず館山藩の9万石分がまるまる没収される。
でも鹿島領3万石については関ヶ原の戦いの戦功による加増地なので安堵された。
かと思いきや、伯耆倉吉藩3万石を代替として転封される事となってしまう。
そしていざ倉吉藩についてみると、3万石どころか4千石程度の所領しかなく、転封とは名ばかりで配流同然だった。
しかも三年後には鳥取藩主池田光政によってこの4千石の所領も召し上げられてしまう。

たぶん、これで忠義は完全に心が折れたんだろう。
その五年後に29歳の若さでこの地で病没する。

忠義の遺体は倉吉で荼毘に付され、この地にある大岳院というお寺に埋葬される。
この時、8人の家臣達が殉死し、8人の戒名に「賢」の字が共通して入っていたことから、「八賢士」と呼ばれるように

なり、この八賢士の墓も、忠義と共に大岳院にある。

ってちょっと待て。

話の背景は理解したが、つじつまが合わん。
八賢士の墓は鳥取の大岳院にあるが、千葉の館山にもあるって事?
それとも慰霊碑みたいなものが建ってるのか???

と思って調べたら、ここにある墓は分骨して建てたもんなんだそう。なるほど。


案内看板に従って、登ってきたのとは逆の方角を降りていく。
 
ここでも子供達は疲れ知らずにさっさと歩いていき、ママは取り残される。
もう子供達に置いていかれるのは慣れっこさ。悲しくなんかないやい。

しかし、ここからがまた過酷だった。

ここで先ほどの地図を見てみましょう。

「八遺臣の墓」は地図の一番上に表記されてします。
おわかりでしょうか。
この地図の感じで既に結構な距離があるっぽいのが。


すぐ着くかと思った八遺臣の墓は、山を下っても下っても辿りつかない。くじけそう。

まだ着かない。

最後の案内看板。

この先の階段を下りるとお墓がある。


降りてみてちょっとびっくりした。
ちゃんと、ちゃんとってのもおかしいが、がっつり本気のお墓だった。
なんつか、観光スポットっぽく、碑みたいになってるだけかと思いこんでたんだけど、
戒名の書かれた8本の卒塔婆と五輪塔。周りに石祠もあって、厳かな雰囲気。
・・・っていうか、ごめんなさい。ちょっとそこだけ薄暗くてちょい怖いくらいでしたです。

館山市による説明板とかもあったけど、お墓なので撮影はしないことに。
とりあえずお参りだけする。

お墓をさらに降りると山も終わりで、唐突に民家。そして広がる住宅地。
こんな山のぎりぎりまで民家があることにびっくり。
これ、家建てる時に、遺構とか陶器の類とか、出たりしなかったのかなぁ。。。出たと思うなぁ。。。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部 ←今ここ
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



館山城の内部は、八犬伝博物館となっています。
博物館につき、写真は撮りませんでした。

なつかしの、昔NHKでやってた人形劇の八犬伝の上映とか、その人形の展示とか、当時の歌舞伎の錦絵とか、今までに刊行された様々な八犬伝だとかが展示されている。
貴重な資料から、ほほえましいものまでいろいろ展示されている。・・・んだけれども。

満足度、という意味では・・・んー・・・。いまひとつ。
なんかこう、もう一つ何かが足りない、みたいな。
あれだ、知識欲を満たすものが何にもないんだよね。
何にもは言いすぎかな。でもないの。
見て終わり、みたいな。

んーーーーーなんていえばいいのかな。あ、そうだ、初心者に優しくない。うん。これに尽きる。

館山城の八犬伝博物館は、これから八犬伝という物語に触れようという人向けではなく、既にある程度八犬伝を知っている人向けの施設なのだな。
例えば、八犬伝とか知らずに観光とか遊興とかなんでもいいけど館山に来て、たまたまお城に来てみて、で、八犬伝というものを知って、え、何これ面白そう。もっと知りたい、と思った人がいたとする。
でも、この八犬伝博物館は、そういうビジターに対して、何一つ用意していないところなのだ。

館山城の中にはたくさんの八犬伝を元にした小説やマンガや児童書が展示されている。
でもそれらは全てガラスケースの中であり、手に取って中を読むことはできない。
館山城の中に、読めるようにした学習スペースなどもない。


ここからちょっと去年の話になるんだけども、
実は、ここ館山城には、去年も訪れている。
去年の私は、恥ずかしながら南総里見八犬伝ってちゃんと知らなかったんだよね。
もちろん、子供の頃にNHKの人形劇も見てたし、時々やる八犬伝のTVドラマとかもちょいちょい見てたけども、原作をちゃんと読んだことはなかったのね。

なもんで、娘と息子にいろいろ聞かれても答えられなかったの。

なので、去年館山城に来たとき、受付の人に聞いたんだわ。
「子供でも読みやすい、八犬伝のオススメの本はありますか」ってね。
そしたら答えは、答えは「いっぱい展示してあるので参考にしてみてください。」だったのよ。

確かに展示してあったよ。うん。
でもそれらは前述したとおり、ガラスケースの向こうに、文字通り“展示”してあるので、中を見てみることはできない。
見ることができるようにしてあるものもない。

館山城の人があまりあてにならなかったので、もしかして下の本館の人ならわかるかしらと下山後に本館に行ってみたのだが、本館の人の答えは、「上の館山城が八犬伝博物館になっているのでそちらで聞いてください」だった。
いや、聞いたけどわかんないみたいだったから、こっちなら人も多いし誰かわかんないかと思って聞いたんだけども。
それに博物館なら、図書室とか学習室とかそんなんの中に揃ってたりしないのかなとちょっと期待したんだけども。
売店とかもあったから、それっぽい本とか売ってないかと思って聞いたんだけども。

というか、あのー、悪口になっちゃうのかもしんないけど、もしかして館山市博物館には学芸員はいないのかなと思った。
館山市博物館も見学したんだけど、誰も展示物の解説をしてくれる人はいなかったし、里見家について職員さんに聞いても誰も答えてくんなかったから。
史実の里見氏と創作の八犬伝との差異についてもちゃんと答えられなかったし、里見氏について書かれた読みやすい書物もわからないと言った。
めんどくさくて答えたくなかったのかもしれないけどね。閉館時間近かったし。
博物館の内容についても、本館が史実の里見氏、分館が八犬伝、と分けられていたようだったが、明確な区分がなく、館山市博物館本館は里見氏研究の第一人者的立場にはないのだな、という印象を持っただけだった。
所領の博物館が藩主について答えられないのだから、困っちゃうよね。

仙台だと(仙台を引き合いに出すのは間違ってるとは思うが)、仙台市民は子供の頃からあほほど伊達政宗について教えられるんだけれども。書物もアホほど読まされるしね。
もっこかつぎの殿様とかどうでもいいような逸話まで教えられるんだけども。
まあ、伊達政宗と里見氏とでは、出版されてる書籍の量がまず圧倒的に違うんだろうけど。

改易された大名だからなのかな。
でも、山形市なんかは、最上家も改易されてるけど、最上家大好きでけっこう薀蓄語る学芸員とか多いんだけども。

なんかね、なんだろね、地元の殿様なんだからもちっと愛してあげてもいいんじゃないかと思うのよ。


去年そんな感じの感想を持って、今年、館山市にきてみたら、
今、館山市は、里見氏を大河ドラマにしよう、みたいな運動をやっていて、町のあちこちにのぼり旗が立っていた。
それは大いにいいと思う。
大多喜町でも本多忠勝の大河ドラマ化運動やってるけど、そういうので町が活性化するのはいいと思う。

でもさーなんだよね。

なんかね、こと里見に関しては、町全体がそうしようと活気付いてるって感じじゃなくて、なんか、一部の人だけが頑張ってる感がある。


余談ながら、館山城の受付の人が、「どちらからお越しに?」と聞いてくれたので答えたんだけど、受付の人は、それが千葉県内の市だと知らなかった。そんなにマイナーな市でもなかったんだけど。
なので、その後、同様の事を聞かれたときは、「チーバくんの肩辺りから来ました」と答えるようにしている。
おしなべて、安房の人は上総・下総のことに疎いと思う。受付の人の事例だけでなく、安房の人はチーバ君の上半身に関心がない。
しかし神奈川県については割と詳しい。アクアライン経由で観光に来る人が多いせいか?


そんなわけで、私は南総里見八犬伝については、去年、帰宅してから自分で調べました。ネットで。
そして私の知りたい事を教えてくれたのは、館山市のサイトでも博物館のサイトでもなくて、八犬伝ファンの一個人の方のサイトでしたよ、と。


八犬伝って言う作品は、実に、歌舞伎になったり、舞台になったり、映画になったり、テレビドラマになったり、アニメになったり、漫画になったり、ありとあらゆるメディアに展開していて、更に、モチーフになった作品にいたっては数知れないにもかかわらず、原作に忠実に作品化されたものは実はほとんどなかったりする。

なにしろ、原作が長い!のだ。
そりゃもう長い。全98巻、106冊。
連載期間だって28年もかかってるんだから、その長さたるや相当なもんだ。
作中の時間だって、1441年あたりから1520年くらいまでが描かれていて、80年近くの年月がかかっている。
これが映画やらドラマやらの二時間やそこらですむはずがないのだ。
全て忠実に映像化しようと思ったら、それこそ大河ドラマ並みの期間が必要になると思う。つか一年でも足りないと思う。

例えば、昭和62年放映の「独眼竜政宗」という大河ドラマは、伊達政宗の68年間の生涯を、誕生から往生まで割合丁寧に描いていたと思うが、それでも最後近くはかなり駆け足だった印象があった。
原作になった山岡荘八の小説は文庫で全5巻とかだったと思うが、一年では描ききれなかったわけだ。

とすると、里見八犬伝106冊を忠実に映像化しようと思ったら何年かかるんだろう!
に…20年くらい?

そんなわけで八犬伝に興味を持ったとしても、その内容を全部読破するのは並大抵のことではなかったりする。
子供の頃にNHKの人形劇の「里見八犬伝」を見てた人なんかは、玉梓がラスボスでラストバトルで終わり、だと思ってる人も多いんじゃないだろうか。


そんな人にオススメしたいのが、碧也ぴんく作の「八犬伝」というマンガ。
実はこのマンガが、数ある里見八犬伝本の中で、一番とっつきやすく、かつ、原作に忠実。
何しろマンガだから子供にも読める。
うちの娘が毛野たんに心を奪われたのは実にこのマンガのせいwww
でも、たぶん、コミックスも文庫版も絶版になってると思うので、読んでみたいと思った方は、ぶこふとか探してみてください。

というかね、やっぱり、館山城で八犬伝に関して情報発信をしていくべきだと思うの。
初心者にもとっつきやすい本の紹介とかさ、リストとかにしてくれるとかさ。売店で本売るとかさ。市で編纂した小冊子売るとかさ。

なんかとにかくもったいない。
もったいないったらもったいない。
すごくじれったくて「もったいなーーーーーーーい!!!!」って叫びたくなる。

だってそれくらいファンを魅了してやまない作品なんだもの!

あのねー、すごく突拍子もない事を言うと、これ、PS4でアクションゲームにして、シリーズで出し続けるべきだよ。くらいの勢い。
原作に超忠実なゲーム化。フルCGで美麗な館山城を完全再現!そんでアサシンクリードみたいに、屋根まで上れて芳流閣戦を体験!

よし、UBIソフトに制作を依頼しよう!たぶん、200億くらいかかるけど!   ←
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城 ←今ここ
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



PM 15:00 館山城


八犬伝めぐりのラストはやっぱり館山城。
もうすっかり夕方になり、息子は帰りたいとごねはじめています。
ええい、今日は娘の誕生日だ。耐えるがよい、息子よ。

さてこの館山城。
カーナビで検索しても出ないので、携帯でぐぐると「館山市立博物館」の分館なんだよと出てくる。
なのでカーナビにうっかり「館山市立博物館」と入れてしまうと大変です。

↑を参照してもらいたいのだけれど、うっかりカーナビに、目的地・博物館、としてしまうと、このマップ右端の本館の傍に連れて行かれます。
4台くらいしか停まれない駐車場があって、だいたい満車。困ったわね。
実は、このマップ左側の「現在地」とあるところのすぐ下のemojiが正しい目的地。
ここに大駐車場があります。
以前行ったときはこの事を知らなくて、博物館の駐車場に止めようとしてしまい、色々と難儀しました。
たぶんねたぶんね、私達みたいな馬鹿は他にもいっぱいいると思うから(いないかなぁ)、博物館の駐車場の前あたりに「←大駐車場あっち」みたいな案内板があるといいなぁ。
あとね、カーナビは意外と大通りを指示しなくて、裏道みたいなとこを走らせるので、大通りから道案内があると非常に親切です。。。。。
要求しすぎかなぁ。。。。
まぁ、こんなとこで吐き出すくらいいいよね。。。。。。

さてさて、大駐車場に車を置いたら、マップの - - - - - に従って館山城まで歩きます。
お城とはすべからく山の上。つまり待たしても山登り。
綺麗に舗装されてるとはいえ、お城まで長い登り坂。


もはや死にそうでっすぅー。
今度は旦那様すらも私を待ってくれません。孤独。
へろへろになりながら坂道を登る。


とどめに階段。
これをあがってやっと館山城。


このお城は犬山城を模して再建された模擬天守なので、本当のお城がどんな造りだったのかは全く不明。
建築されたのが1580年(天正8年)、廃城となって破却されたのが1614年(慶長19年)と34年間しか存在してなかったせいか、記録にも残ってないようです。
この模擬天守、外見はいいのですが、中が博物館を兼ねているせいもあって、非常に無骨な鉄筋コンクリート丸出しの造りとなっていて、お城マニアには大変不評な一品となっておりますが、紺碧の空に映える白壁の城は素直に美しいです。
最も、外側が美しい分、内装の無神経さは落差が激しいです。
もちっとなんとかならなかったのか。


右手には浅間神社。
ちゃんとお参りしなかったのですが、拝殿の欄間の彫刻は波の伊八の作だとかどこかで見たような見なかったような、ぐぐっても出ない。今度行くことがあったらちゃんと見たいです。



「里見城址の碑」
館山城址でなく里見城址。愛を感じます。


里見桜の由来の看板。
桜の季節にはまだ早かったのですが、梅が綺麗でした。


館山城から見た富士山。
写真ではほとんどわかりませんが、この真ん中辺に富士山が。
肉眼ではとても綺麗に見えたのにくやしいのうくやしいのうぅぅぅぅぅぅ


富山よりも館山の方が梅が満開でした。
水仙も満開。
いやぁ春だねぇ~なんつってたこのとき、九十九里では何と雪が降っていたそうな…emojiemoji



※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里 ←今ここ
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



PM 13:00 道の駅三芳村 鄙の里

滝田城攻略に2時間も費やしてしまったのは、明らかに私が悪いです。ごめんなさい。

ここでお昼。
娘はラーメン。(ラーメン好き)
息子はミートソース。(ミートソース好き)
旦那はかき揚げ丼。私はとろろそばを食べました。大変おいしゅうございました。

ここ、旧・三芳村(現・南房総市)は、日本酪農発祥の地なんだそうで、ここにきたらソフトクリームを食べるべき!らしいんですが、ごめんなさい。寒くて無理でしたwww

この駅は足湯とかもあって、山登りで疲れた足をリフレッシュ。
びわせっけんとかお花のアロマとかもあって、女子力高くなりそう。
売り場全体が、ほんわりとお花のいい香りがしていました。
旦那にチーバ君ネクタイを買ってあげました。


さて、この道の駅でも八犬伝らしさは店内に飾られたこの伏姫と八房の絵しかありませんでした。
これも伏姫神の絵ですね。
八房は牛柄です。

なんというか、富山からこっち、クローズアップは八犬士よりもむしろ伏姫&八房であるようです。
犬掛地区でも、毛野の居城の設定とかには一切全く触れられていなかったしね。

そしてやはり八犬伝グッズはなし。
なんでかなぁぁあああぁぁああああ~~~~~~~
八犬伝より、牛乳メイン。びわメイン。チーバくんメイン。

八犬伝なんかに頼らなくても特産品いっぱいあるの、てなとこなのかな…。なんだか寂しいなぁ
八犬伝めぐりで南下してくると、ここがちょうど中間地点になってて、気分はいい感じに盛り上がってるんだけどな・・・
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址 ←今ここ
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



AM11:00 南房総市・上滝田・滝田城址

旧・富山町エリアの犬掛地区から88号線を更に南下して、旧三芳村エリアの滝田地区へ。
どこに行こうかとしているかと言うと、八犬伝の最初に出てくる里見家の居城、滝田城。

しかしこれもわかりづらかった・・・・・

まず、カーナビでは「滝田城址」は登録されていない。
なので、滝田城をぐぐって出てきた住所をナビに打ち込む。・・・が、これが大変なことになった。
ナビに従って田んぼと住宅に囲まれた細道をくねくね登る。
滝田城は山城。ゆえに滝田地区も斜面に展開している。この道がまた怖い。
細いくせに急カーブで急斜面だったりするのだ。
住んでる方々には申し訳ないのだが、よそ者には本気で怖い道。
車高の高いワンボックスだったので、ほんとにほんとに怖かった。
こんな道を行くのがほんとに正解なのかと涙目になりつつ、ナビを信じる。と、やっと登城口に到着。
ちょっと薄暗い小さな駐車場でかなり寂しい感じだが、確かにここが滝田城址と書いてあるので登ってみることに。
子供達はノリノリで奥に進んでいく。
凄いな、お前ら。


「城主 一色九郎」とありますが、この人は城代で、4代義豊の義弟(妹婿)だったそうです。

写真左上に我が旦那様が見切れています。
子供達は例によってさっさと登っていってしまいました。
取り残されてママは悲しいです。
例によって千葉の山を舐めていましたが、結構な急斜面です。


最初のうちこそこんな感じで階段がついていましたが、徐々に単なる山道に。


断崖絶壁にくらくらします。
落ち葉で滑って何回か足をぐねってしました。痛いです。

城門跡。
登り始めてすぐ、馬場、物見台、虎口と案内板が出る。
かなり遺構は残ってる感じだったが、お城マニアではないので、いまいちよくわからず、それほど感動がない。薀蓄語るガイドさんが欲しい。

土塁もいっぱい築かれていたが、それが何なのかわからない。自分の不勉強を恥じる。

曲輪(くるわ)
弐の郭
主郭。
やっとこさで本丸まで登る。
しかし子供達は既にいなーい。
更に先に進んだと思われる。まじでか。お前らの体力は無尽蔵か。

ここが主郭ということは、八犬伝では、敵に追い詰められた里見パパ実が、まさにここで「敵の首を取ってきた者に伏姫たん娶わせるお」と、全ての発端になった一言を放つわけですな。

同じく主郭。
もはや私、息も絶え絶え。

山のてっぺん。主郭櫓台。
しかし、東京電力の無骨な鉄塔が建っていて、なんか残念感。
お山の宿命か。
ここでやっと子供達と合流。

主郭櫓台から急な階段を下りると、南側の曲輪に展望台があった。
息子は大喜びで勇んで登る。
娘はびびって怖気づく。
我が家のいつものパターン。

展望台の上からの眺望。城下が一望できる。
北側にはさっき行ってきたばかりの伏姫籠穴のある富山があるはずだが、ぶっちゃけ四方を山に囲まれていて、どれが富山なのかわからない。
海も近いはずなのに、山に阻まれていて全く見えない。

展望台の近くにある伏姫と八房の像。
八房が伏姫の乗騎となっていて、雲の上を飛翔しているので、たぶん、伏姫が死後、神格化してからの像。
伏姫美しい。この八房も尻尾くるん。かわゆす。


像の足元には八犬士の玉が散らばっている。良い。


無事下山し、車に戻ろうとしたところで、ふと、案内図に気づく。
それを見たら、なんと登山口が二つある。
もしかして、逆側から行った方が楽に登れたんじゃないだろうか…。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像 ←今ここ
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



AM:10:50 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像。

さて、ここ犬掛地区は、南総里見八犬伝の中では、八房生誕の地として描かれています。
犬掛お堂前の農道を直進し、突き当たり手前を右折してちょっと行くと、春日神社という神社があります。


この麓に伏姫の愛犬、八房の像があります。

ここにある説明文にはこんな感じのことが書いてあります。
  • 百姓の家に仔犬が生まれる。
  • 母犬は狼に食い殺される。
  • 百姓は独り者で野良仕事が忙しく子犬を育てられない。
  • 仕方なくほったらかしていたが何故か仔犬は丸々と成長していく。
  • 不審に思った百姓が覗き見すると、富山の方角から年老いた狸が仔犬に乳を与えにきていた。
  • 狸に育てられた犬として有名になる。
  • 里見パパ実が噂を聞きつける。
  • 仔犬は八房と名づけられて伏姫の愛犬となる。
  • 狸に育てられた名犬という美しい動物物語として語り継がれている。
  • この美しい物語を語り伝えようと像を建立した。



うん。

・・・・いや。

まてまて。

これだけ読むと確かになんかちょっといい話っぽいけど、ちょっと待て。

あれ、この文書いた人、八犬伝読んだ事ないのかな。はたまた読んだ上で因縁はどうあれ異種族同士の親子愛ウツクシスなのかな。
南総里見八犬伝を読むと、これがまさに因縁と怨念がどろどろに渦巻く怪奇な光景となるのだけれど、そこんとこは華麗にスルーか。南房総市のスルーりょくパネェっす。

何しろ八房は、のちに神格化した伏姫神の乗騎となるせいで聖獣の如く扱われていますが、そもそも諸悪の根源・玉梓の生まれ変わりにして怨念の塊。
この狸も八房に乳を与え続けたせいで、玉梓の怨念が一部乗り移っていて、八房が浄化したあとも里見家に祟り続け、あげく八百比丘尼に化けてボス化するのだ。

仔犬に乳をやりに狸が山を降りてくる部分も、母性愛あふれるほのぼのとした描写ではない。
黄昏時、鬼火か人魂かという光が滝田の方から閃き来て、中空から音を立てて落ちたかと思うと犬小屋の傍で忽然と消える。するとそれに誘われたかのように富山の方から狸が走ってきて犬小屋に入り仔犬に乳をやる、という光景は、ぶっちゃけちょっと怖い。

まず、時間帯がおかしい。黄昏時って。
黄昏の読みは「たそがれ」。語源は「誰そ彼」で、日が暮れて暗くなってきて向こうから人が来ても「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と訊ねないといけないほど人の顔がわからない時間、という意味だ。
そしてこの黄昏時の別名は「逢う魔が時」。読んで字の如く、魔物に会いそうな時間の事で、つまり、「日が暮れて暗くなってきて人の顔もわからないから、もしかしたら向こうからやってくるのは化け物や魑魅魍魎の類かもしれないよ。気をつけて」みたいな、ちょっと警戒の色を含んだ時間帯なのだ。
ついでに言うと、「逢う魔が時」は読みは同じで字を変えた「大禍時」という表記もある。大いなる災いが起きる時間、という意味。
人間の乳児ですらこの時間帯になると何故か理由もなしに泣き出す「黄昏泣き」をすることもあって、赤ん坊が大人には見えない魔を感知してるから、といわれたりすることもある時間なのだ。

次に、現れる光とやらがおかしい。
八犬伝で光といえば、すぐ思い出されるのは伏姫割腹時の傷口から流れ出た「白気」。
白く輝く不思議な光で、姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
この文章だけでとても美しい情景が眼に浮かぶ。
が、八房と狸の逸話に現れる光は、「鬼火か人魂か」なのである。
夕暮れ時に鬼火か人魂か…って、完全にホラー。
覗き見ちゃったお百姓さんもよく漏らさなかったものである。

これを「美しい動物物語」と言い切っちゃった南房総市の人、力技にも程がある。

まぁ、怨念の物語、とは、観光案内板には書けないかもしれないが。




像の八房は、短毛・鼻面しゅっ・三角立ち耳ピン・巻き尻尾くるん、と、柴犬っぽい典型的な日本犬の特徴を備えています。


これは「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も同じ。
八犬伝刊行当時の挿絵の浮世絵の八房も、そんな感じで描かれています。(絵によってはちょっと長毛っぽく見えるものもある)
大きさは子牛ほどというから、かなりの大型犬。
今、日本犬で一番大型なのは秋田犬だけど、それよりでかい。
体に八つの牡丹の花のような斑があることから「八房」と名づけられたとか。ブチ犬かわゆす。
浮世絵とか、道の駅に展示されてた像とかの八房は、黒ぶちの犬なんだけど、個人的には「牡丹の花のような」と形容されるなら黒ぶちより柔らかな色合いの茶ぶちの方がそれっぽいなぁ。
黒いブチだと、「牡丹の花のよう」というよりは「牛のよう」という形容になると思う。
子牛ほどの大きさで牛柄って、まんま牛だよね。もはや牛だよね。犬じゃなく。
「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も黒ブチだったので、とても牛柄でした。
この春日神社にある像はカラーリングしていないので、模様はわかりません。

ともあれ、がしっとしたイケメン犬とちまっとした狸の像には子供達のテンションも上がっておりました。
我が家で柴犬を飼っているせいか、こういう犬はかわゆすですな。


八房の像を見たらここ犬掛の御用は全部終了なんだが、もう一つ、心に留めておきたいことがあるので、改めてこの犬掛という場所をぐるっと見渡しておく。

今はのどかな田園風景がただ広がるばかりの犬掛地区。
史実ではここで犬掛の合戦という里見氏同士の戦いがあり、更に里見家3代当主と5代当主のお墓もある。お寺もあったらしい。

八犬伝では八房が生まれたところであり、そして!これだけは外せない。毛野ファンとして。
ここ、犬掛は、物語の終盤で、八犬士の一人、超絶美形男の娘にして策士&軍師の、私と娘の超押しメンw犬坂毛野たんが城を構えたところでもあるのだ。

もちろん史実ではここに城があったという記録はない。寺はあったらしいが。周囲の城跡は全て山の中にあるのに比べて、犬掛は辺り一面平野すぎる。
でもでも、毛野たんが!毛野たんの城がここに!と思うだけでテンションだだあがり。
田んぼの奥はちょっと森深くなっていて、少し高台なので、きっときっとこの森の辺りにお城があったに違いない!
北西に聖地・富山を、南西に全ての因縁の始まり・滝田城を望む、この地に。

そんな感じで、毛野たんの残り香をムリヤリ嗅ぎながら、我らファミリーは次なる目的地、滝田城へ!
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線 ←今ここ
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



県道258号線に戻り、そのまま更に進みます。
前述したとおり、旧・富山町は水仙一押しの町。
富山も水仙が辺り一面に咲き乱れ、車道の路肩もずーーーっと水仙が咲いています。


更にはなんと街灯が水仙。

どんだけ水仙好きか!

そんなのどかな県道258号線を道なりにどんどん東に行くと、犬掛交差点に出ます。
ここを右折。県道88号線を南下。

で、ここで困った。

次なる目的地は、犬掛交差点を右折して88号線をちょっと南下した辺りで左折すればいい、というのはわかっている。
が、どこで左折すればいいのかわからない。
岩井駅のウォーキングセンターでもらったウォーキングマップはウォーキング用であってドライブ用ではないために、非常にざっくりとしている。
事前に入手していた情報によれば、案内板が出てるはずなのだ。
案内板を左折・・・すればいいはずなのに、その案内板が車からでは全くわからない。
困る私。私が使い物にならないので苛立つ亭主。その苛々の余波を受けてますます困る私。
うちの旦那様は普段大変に温厚な人なのですが、ハンドル握ると短気になるのです。
県道88号線を何度も行ったりきたりする私達の車。
ざっくりしたウォーキングマップを亭主に見てもらって、やっと、消防署の先を左折すればいいとわかる。
ほんとごめんなさい。旦那様。地図の読めない嫁でほんとごめんなさい。
でもでもこの地図も絶対に悪いと思うのよ!
だから岩井駅さんはドライブ用のドライビングマップを以下略。

消防署を左に見て、「犬掛お堂前」というバス停脇の細い道に入る。
よーーーーーーーーーく見ると、この道の入口に、「古戦場と里見氏の墓」と書いた案内板発見。
案内板ってこれか!!!
しかも板が劣化していて文字は全く読めない。
歩きだったらわかるかもしれないけど、車からこの文字を読めったってそれは無理さ!!

写真撮っとけばよかった。ほんっとに全く読めないの。案内板くらい定期メンテして!誰か知らんけど南房総市の人!せめて読めるようにして!


犬掛お堂前の細道ははっきり言って農道。
右も左も田んぼと畑。
そこをまっすぐ突き当りまで行き、左へ更に進むと里見氏の墓・・・が、あるはず。なのですが、やはり案内板などはない。
しかも道は更に細い完全な農道に。
車で行けると事前情報を得ていたが、車で行くに適した道ではない。
地元の人にとっては慣れた道でも、よそから来た人間にとって知らない道は怖い。とても怖い。
対向車が来たら絶対にすれ違えない。そしてこのまま進んで向こう側に抜けられるところがあるのかどうかもわからない。Uターンできるところがあるのかもわからない。
かといって手前に駐車場があるわけでもなければ、近隣に有料駐車場があるわけでもなければ、この先は徒歩で行くといいですよ的案内板があるわけでもない。伏姫籠穴と全く同じ不親切さ。
拒まれてる気すらする。つか、あんまりウェルカムムードがない。あんまりっていうか、ほとんどない。指定史跡なのに。
もしかしてあまり来て欲しくないところだったのかもしれないけれど、でももし、観光客にもう少し優しくしていただけるなら、この突き当りの地点に【 ←里見氏の墓 | 八房の像→ 】という立て札の一つも建てくれるといいなぁ。
そんなわけで、ほんとにここを行っていいのかどうか不安になる私。
更に運転手である亭主は、富山で崖っぷちの山道を走らされた直後なので、うちのワンボックスで狭い農道を通行するのを嫌がりだす。
仕方ないのでより狭い左折を断念し、まだ楽そうな右折をする。

ちなみに、行くはずだったここにある里見氏のお墓は、里見義通(3代)と里見義豊(5代)のもので、高さ60㎝位、室町時代の多層塔という様式のお墓なんだそうです。
昔はこの辺りに菩提寺があったらしいのですが、廃寺になったため、お墓のみこちらに移されたそうです。
ここら辺一帯は、里見氏同士の骨肉の争いを演じたといわれる犬掛の合戦の古戦場跡となっていて、その碑もあります。

南房総市の建てた説明板によれば、
  • 義豊8歳の時、父・義通が死去。叔父の実堯が後見役となる。
  • しかし、義豊が成長しても実堯が家督を譲らなかったため、義豊は挙兵。
  • 天文2年(1533年)、稲村城の実堯を急襲し、実堯は自害。
  • 翌年、実堯の子・義堯が、父の仇である義豊を犬掛に攻める。
  • 義豊は稲村城へと逃走。自害。
となっている。

この説明文によると、3代義通の息子の義豊が5代となっているので、後見役の叔父の実堯を4代と数えているようなんだけども、wikipedia先生を参照すると、本来後見人であるならば当主とは数えないそうなので、義豊は5代でなく4代が正しく、また、近年の研究ではそもそも叔父の実堯が後見人であったとする記録も後世の創作とされているんだそうな。
更に3代義通と実堯の兄弟の父とされている2代成義についても、一次史料が現存せず、伝えられる事跡についても裏づけを取ることができるものがないため、何らかの必要性があって捏造された架空の人物である可能性が高い人なんだそうで、義通・実堯兄弟の父は、初代義実であると考える説が有力になっているとか。
とすると、更に代は繰り上がり、3代とされている義通は実は2代、5代とされている義豊は3代になる事になる。
安房里見氏は、俗に「里見10代」と言われていて、南総里見八犬伝の中でも、「里見氏は10代で滅亡」と書かれているけれども、近年の研究に基づくならば、正しくは安房里見氏は8代で滅した事になる。
  • 但し、近年の研究によれば、当主として数えられていない、義弘の嫡男・義重が実際は当主として政務を行っていた形跡があり、これを正式な当主として数えるべき、という説もあるそうなので、この人を当主に加えると、里見は9代が末代となる。
南総里見八犬伝の世界に話を戻すと、ここの墓所の主である3代義通と5代義豊は、物語の終盤で登場する。3代義通はそれなりに物語に絡むが、この世代のときに物語が終わってしまうので、5代義豊は末文で触れられる程度となっている。
何しろ我らが伏姫たんが、パパ実こと安房里見氏初代当主・里見義実の娘と設定されているので、3代と5代となると子世代孫世代となるのだね。

初代パパ実は前述の通り、物語の全ての因果の種を蒔いた人。
その息子である2代成義は、wikipediaで架空の人物かもと書かれているが、物語では義成という名前で伏姫たんの弟として出てくる。シスコンこじらせたり後半のボスキャラの女にたぶらかされたりするが、八人の娘と二人の息子に恵まれる。八人の姫はそれぞれ八犬士の嫁となり、二人の息子が義通と実堯。
このうち長男・義通は、幼少時に後半のボスキャラに拉致られ、八犬士の一人・チート親兵衛に助けられる。物語のラストバトル(八犬伝オリジナルの架空大戦)のあと、里見家3代当主になるが若くして死去。
義通の子の義豊はまだ幼かったため、義通の弟の実堯が4代当主となる。
この頃には八犬士も高齢となり、それぞれ息子に家督を譲って富山に退隠する。
八犬伝の物語そのものはここで終わるけれども、末文として実堯はのちに甥である義豊との間に史実の天文の内訌を起こし、道を失い戦乱に明け暮れた里見家は、その後10代で滅することとなる。と結ばれている。

のどかな田園風景の中に史実とフィクションの融合の妙を堪能しながら栄枯盛衰の理を忍ぶのもまた趣があるのではないでしょうか。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴 ←今ここ
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



AM9:56 南房総市・富山・伏姫籠穴


次なる目的地は岩井駅から見上げた富山の中にある「伏姫籠穴」です。

岩井駅から県道258号線に左折して、そのままずーーーっと道なりに進んでいく。と、左手に「伏姫籠穴」と書かれた看板が見えるので、その看板を左折。
ところが案内板はそれを最後にその先出てこないんだな、これが。
258号沿いの案内板に従って左折すると、直進したところにあるのは中学校。
せめて中学校の前に[伏姫籠穴→]とか書いてくれればいいのにナッシング。
この辺はこういう不親切なところが本当に多かったです。
後述しますが犬掛古戦場もそう。
徒歩でのハイキングにはいいのかもしれないけど、車での観光客への配慮は皆無に近いです。
ちなみにもちろんカーナビにも登録されていないので、手持ちの地図と事前情報のみが頼り。
とりあえず、中学校に入るルートのわけはないだろうから、と中学校の校門前を右折。
ところがここから道が明らかに山道になる。ぶっちゃけ悪路。断崖絶壁。
「マジでこの道で合ってるのか!?」と何度も絶叫する旦那様。
「合っています。ソースはネット」と情弱のような事をごもごも呟く私。あまりの山道にちょっと自信なくす。いやでも車でいけるはず。だって手前に車停めるとこも何にもなかったし。伏姫籠穴はここから車を降りて徒歩で行けとかもどこにも書いてなかったし。まァ案内そのものが258号線沿いのしかなかったけど!
中学校前を右折した後は、どこにも逃げ道のない一本道。間違うはずはない。絶対あってる。でも道はあまりにも細くてくねくねの車が通るためとは思えないような山道。もし対向車が来ても100%すれ違えない。つか崖から落ちそうで怖い。
でも、もしかしたら間違えたかも、なんてテンパってる旦那に言ったら、たぶん旦那はその瞬間に発狂するに違いない。だって旦那様は既に涙目。内心ガクブルしながら自信満々の顔で「合ってます。車でいけます。ネットで見たし」を繰り返す私。
そんながたぼこ道を走っていくと、急に開けたところに出ました。よかった。ついた。まじよかった。ほんとよかった。ちびるかと思った。


まず「伏姫籠穴」と書かれた山門があって、その前が駐車スペース。


山門の横には伏姫籠穴についての説明板とトイレと登山者用の杖が置いてあります。
 
見ればその右手奥から富山のハイキングの登山コースが続いています。
が、我々の目当ては登山ではなく伏姫籠穴なので、素直に山門をくぐります。
 
で、この伏姫籠穴。何かというと、南総里見八犬伝の物語序盤で伏姫と八房が篭った、まさにその洞窟、なのです。まじでか。フィクションなのに。
しかも、人工的にあけた洞窟ではなくて、八犬伝刊行当時から開いていた穴なんだそうで、当時既に現代と同じく聖地巡礼に訪れていた江戸時代のファンによって発見され、「伏姫籠穴」と呼ばれていたのだとか。すげぇな、江戸時代の馬琴オタ。ぱねぇっす。さすが源氏物語から一千年以上脈々と受け継がれてきたオタ民族日本人。
ちなみに馬琴先生、八犬伝執筆に当たって房総半島ロケハンなどは一切してないらしいです。なのに情景にマッチした洞窟が存在しちゃう。すごすぎ。

洞窟の歴史は古くとも、この山門はどうも比較的最近に建てられた物らしく、看板も新しい感じで綺麗。
その山門をくぐってすぐ右手に「犬塚」なるものがありました。
 
なんと、八房が葬られた場所だそうで。まじでか!架空の犬なのに墓があるのか!作りこみパネェ!

犬塚の周りは水仙が満開で、梅も咲き始めていました。
とにかく綺麗な山だなぁという印象。
町の人達が大切にしているお山なのだという感じ。本当に綺麗なお山。
なるほど、この花々を愛でながらハイキング登山するのはなかなか楽しそう。・・・と、呑気に思っていられたのは実はここまででした。

登山コースではないからといって登らないというわけではないのだ。当たり前だが。だって山だもの。みつを。
山門をくぐってからひたすらひたすら登る。

余談ですが、千葉県には厳密に言うと山はありません。
ブリタニカ百科事典によると、「山」と呼べるのは相対的に2,000フィートの高さを持つものなんだそうです。
2,000フィートとは、610mです。
でも、千葉県最高峰である愛宕山(あたごやま/南房総市)は、標高408.2mしかありません。
ゆえに千葉には山はない!

ちなみに東京スカイツリーの第2展望台「天望回廊」は、450mの高さにあります。
つまり、千葉県の大地をどれだけ頑張って登っても、第2展望台に行き着くことはできないんです。

で、まあ、そんな千葉県の事を、実はあたくし、常々おおっぴらに小馬鹿にしてきました。
何故ならあたくしは前述もしましたが、宮城県仙台市の出身。生まれも育ちも宮城県仙台市。
宮城県といえば、そう、宮城が誇る蔵王山!標高1,825m!
そんなお山に子供の頃から慣れ親しんできたあたくしには、千葉県の山など山にあらず!むしろ丘!千葉の山の全ては丘!!!(実際、正式名称として、房総半島の山々は「房総丘陵」という名前が付いているので、悪口でもなんでもなく千葉の山の全ては丘なのだけどね。)
悔しかったらスカイツリーよりも高くなってごらんなさい!

そいでもって、この富山というお山も、標高は349mしかありません。

ほーほほほほほ、349m!349mですって!?
丘ですわね、丘!
こんな丘、ひょいですわよ、ひょい!ほーほほほほほほほほ


で、まぁ、10分もしないでこの有様ですわ。
 
すみません。中央のこの太ましい物体があたくしです。熊とかではありません。

ひたすら続くのぼり道にへこたれるあたくし。
お、おかしいな・・・。ひょいだったはず・・・。こんな山、丘も同然だったはず・・・。

へこたれるあたくしを見捨てて、息子と娘はとっとと上まで登っていってしまう。
なんて薄情な子供達・・・!ああ、でもいとしのダーリンは待っててくれてるわ。やっぱり愛で結ばれているのね。
と、うっかりほだされかけた私の目に飛び込んできたものは、ニヤニヤしながらへこたれる私を撮影する夫の姿。殺意が湧く。


殺意に突き動かされながらしばらく登ると、八角形の舞台が現れます。
 
八角形の角には天辺に珠を乗せた八本の柱。それぞれに八犬士の名前が書いてある。
娘、自分のお気に入り犬士を探してはしゃぐ。

ここで簡単に八犬士の紹介。
  • 「孝」- 犬塚信乃
    前半の主人公。イケメン。たぶん一番人気。幼少期に女装させられていたが似合ってなかったのでいじめられていた。装備・村雨丸
  • 「義」- 犬川荘助
    苦労人。信乃の世話役で、後に信乃と義兄弟の契りを結ぶ。従者属性。荘助×信乃は最王道カプ。
  • 「忠」- 犬山道節
    信乃の元カノの異母兄。序盤で信乃のライバルのように登場するが後半に行くにつれて尻すぼみになる。トラブルメーカー。いろいろ企むがほぼ報われない。
  • 「信」- 犬飼現八
    小文吾の乳兄弟。養父は信乃のご近所さん。影薄い。でも戦闘力高い。
  • 「悌」-犬田小文吾
    現八と乳兄弟で、親兵衛の叔父。毛野にプロポーズされた純情巨漢。毛野が男だと気づかずに承諾している。女運悪い。
  • 「仁」ー 犬江親兵衛
    後半の主人公。チートキャラ。ホモにセクハラされる。あだ名は大八だが名前の由来は現代だと放送コードに引っかかるので大人の事情でなかったことにされている模様。
  • 「智」- 犬坂毛野
    男の娘。超美女。しかも超頭いい。超策士。小文吾大好き。道節と違って企みはほぼ成就させている。私と娘の超ご贔屓キャラ。小文吾×毛野おいしいです。hshs
  • 「礼」ー 犬村大角
    ヤンデレ。唯一の妻帯者だったがヤンデレすぎて妻を死なせる。インテリ。
八角舞台を通ると、ついに「伏姫籠穴」にたどり着く。

八角舞台から伏姫籠穴を見上げた画像。

おおおお。
伏姫奪回を試みて富山に入った伏姫の元彼wはこんな風に籠穴を見上げたんだろうか…とか、一瞬感無量になりかけたけど、よく考えたら、元彼と伏姫の再会は籠穴じゃなく、川だったよな。確か。ねぇな、川。
入水しようとした伏姫と八房を見つけて、八房だけを射殺しようとして伏姫も撃っちゃうんだよな。保有スキル・ドジッ子ですね。
んで、やらかしたー!俺も死のう!って入水しようとするんですよ。元彼は。
ちなみに厳密にいうと元彼じゃなくて、元婚約者なんだけどね。
里見パパ実が元々伏姫たんを嫁がせようとしていたのは、犬じゃなくてちゃんと人間だったのだ。
それをいらんこと言うからこんなことになるのだ。
つくづくお口チャックなタイプのパパである。
それにしても川がない。崖はあったけどあの下は川だったのかな。あそこから落ちたら入水とかいう次元じゃなく滑落死だと思うけど。


伏姫籠穴への入口。
日によってこのゲートが閉まってて登れなくなってる事もあるらしいのですが、今日は開いててラッキー♪


伏姫籠穴への階段はむちゃくちゃ狭い。
娘はママの体は挟まって通れないんじゃないかと大変心配してくださいました。
ちくしょう!通れるよ!かろうじて!


登りきると小さな洞窟。
あれ?こんなに小さいの?と思いきや、実は入口は狭いが、中がぐっと広くなっている。

洞窟の中は白い玉砂利が敷いてあって、真ん中に白い珠が納められていた。
伏姫の御神体ちっくな感じ?
が、せっかくの白い珠なのに、なんかちょっと汚れてて残念。もう少し綺麗にしようよ。
ペットボトルのお茶とか備えてあったけど、それもなんかちょっとね。ゴミ捨てたっぽくも見えてしまう。残念。
つかさ、ここに、簡易にお社みたいな風体をこしらえるといいのではないの?
確か、原作では富山山中に伏姫神社を建立したことになったはず。それに倣って祠とかなんとかつくってお神酒上げとくだけでもそれっぽいロケーションになりませんか?そういうのはお嫌いですか?南房総市さん。
あ、それとも山頂に既に神社が立ててあるのかな・・・


更に奥を覗くと、黒地に白字で仁義八行の文字が刻まれている八犬士の玉が転がっている。
息子と娘は興奮していたが、やっぱりなんか残念。
もうちょっとなんとかならんかったものか。
置き方とかとにかく雑。
珠の質感もなんか惜しい。
八犬士の珠もその前に置かれた白い珠もなんかちょっと惜しい。
そもそも珠でかい。でかすぎ。
観光客向けに見やすくとの配慮だろうが、でかいって。
元々が数珠の珠だったようにはとても見えないし、これを握って生まれたり傷口から出てきたりするのは無理な大きさ。
いやいや、きっと、なんか、富山の霊的な力で巨大化したんだ。きっとそうだ。そういうことにしておこう。

籠穴からみおろした八角舞台。



この富山は、前述もしたが、南総里見八犬伝の中では「聖地」として登場する。
序盤は伏姫と八房がこの山に籠もり、そして共にこの山で命を落とし、中盤では神隠しに逢った八犬士の最年少・犬江親兵衛が実はこの山で神格化した伏姫神に育てられ、大団円では年老いた八犬士たちがこの山にこもって仙人となり、物語は終焉を迎える。
実際、登山コースを登っていくと、山頂に「八犬士終焉の地」の標柱があるらしい。
…私たちは主に体力的な問題で行きませんでしたが。
や、子供達の体力は有り余っていましたが、私のね、HPは限りなく0に近かった。この時点で既にww まだまだ序盤戦だというのにwwww

体力に自身のある方はぜひ山頂までトレッキングしてみてください。
あ、その際は、くれぐれもちゃんとそれなりの装備をしてください。丘とか何とか言いたい放題言いましたが、それでも山道ですので。ヒールとか言語道断よ!夏はやぶ蚊と蛇にも注意よ!
山頂には展望台とかもあるらしいです。
伏姫籠穴だけを見ても、綺麗なお山だなという印象だったので、きっと山頂も綺麗だと思います。
綺麗でこじんまりした可愛らしいお山。姫君が住むに値した山という感じでした。

さて、伏姫籠穴を堪能したら、次なる目的地へ。
あ、復路はさすがに心に余裕もあったので、道端の花なども楽しめました。水仙が咲き乱れていました。でもやっぱり断崖は怖かったです。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅 ←今ここ
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



AM9:30 南房総市・JR岩井駅。

「道の駅 富楽里とみやま」を出て、県道184号線からちょい戻る感じで、県道89号線経由で国道127号線「内房なぎさライン」へ。
そこを南下してJR岩井駅へ。
八犬伝めぐりをするならまずここに立ち寄るが良い。と教えてくれたのはネットでしたよ、と。

だーかーらーさー。そういうことも「道の駅 富楽里とみやま」で教えてくれたらいいんじゃないのかと思うんですけど。
「道の駅 富楽里とみやま」に八犬伝ドライビングマップみたいなの無料配布しとくとかさあ。
要所要所でスタンプラリーするとかさあ。
「道の駅 富楽里とみやま」からだと、人間心理としては目の前の184号をまっすぐ南下しちゃうわよ。JK。127号なんか行かないわよ。
だって平行してる道路だもん。184から127ってちょっとめんどいもん。
しかもこの岩井駅ってのもね、ちっちゃいこじんまりした駅なの。
ふつーに車乗ってたら前をスルーして通っちゃうような小ささなの。
おまけに127号沿いにないの。交差点からちょっと中に入るの。
ここが八犬伝めぐりに欠かせないところだなんて、ネットで見なきゃ知らなかったわよ。しかも公式ページで知ったんじゃないのよ。個人の方のブログよ?
もっとアピールしていこうよ!岩井駅!!!


で、岩井駅。
旧・富山町は水仙一押しの町らしく、駅舎は小さいのに、入口にどーーーんとでかい水仙のモニュメントが!!!
 
左右にあって豪華にお出迎え。
これはイイwwwお花好きの娘のテンションもだだのぼり。つかマジでけぇ。

ここに来たらまず、何をすべきかというと、まず駅舎を見る。
建物を見るんじゃなく、その向こうの山を見る。
「道の駅 富楽里とみやま」からももちろん見えたんだけど、改めて見る。
この山こそが、南総里見八犬伝の物語の序盤に伏姫が八房と篭って暮らし、中盤で大八こと親兵衛が育てられ、終盤には年老いた八犬士が終焉を迎えたという、作中では聖地とされている、あの!富山そのものなのです。
あああ、感慨深いねぇぇぇぇ。

天気が好かったのでお山綺麗でした。

ちなみに、山の名前は「富山」と書いて「とみさん」と読む。
旧・町名は「富山」と書いて「とみやま」と読む。
八犬伝作中では「富山」と書いて「とやま」と読む。
統一しろww

さて、ひとしきりお山に思いをはせて気が済んだら、岩井駅の中のウォーキングセンターへ。
ウォーキングの名の通り、ここでは八犬伝にゆかりのあるハイキングコースの地図がもらえます。
残念なことにウォーキングのみであり、車でのドライビングコースではない。ウォーキングセンターだから!しかたないのかもしんないけど!
ウォーキング用の地図は非常にざっくりとしていて、のちのち私と旦那を苦しめることになる。
ドライブ用のマップを作っていただけるととてもありがたいです。岩井駅さん!!! ウォーキングだけでなくドライビングもセンターして。お願い。

 
ウォーキングセンターにあった、なんか…兵馬俑のような八犬士。微妙。


伏姫らしき顔出しパネルもありました。もちろん娘が顔を出してお写真撮りました。

岩井駅ウォーキングセンターでハイキングマップをもらったら、すぐに車に乗り込んで岩井駅を後に…は、してしまわずに、そのまま岩井駅のすぐ隣の伏姫公園に行ってみる。
ここには伏姫と八房の石像がある。これもネットで教えてもらった。教えてもらわなきゃスルーだよね。
だからそういうとこもこう、岩井駅でさあ、この隣の公園は伏姫公園ですよとかどっかに書いとくとかさああああーーーー。もおおおおーーーー。

 
気を取り直して伏姫。なかなか美人。
八房もケモ可愛い。
伏姫の組んだ手の中に、誰かが花びらを摘んで入れていて、それを見た娘、俄然張り切って近くの雑草のお花摘み。
一生懸命花を摘んでは伏姫に持たせていました。
ふっ・・・。親ばか的に娘おいしいです。もぐもぐ。

娘の気が済んだあたりでようやっと岩井駅を後にする。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま ←今ここ
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋


まずは何はともあれ、朝は早起き。
館山自動車道をつるっと南下。
晴天で大変よろしい。

鋸南富山ICで降り、旧・富山町へ。
途中、ハイウェイオアシスにもなっている「道の駅 富楽里とみやま」に立ち寄る。

で、ここが最初のがっかりポイント1。

実はこの、現在は合併して南房総市となっている、旧・富山町というところは、里見八犬伝めぐりをするつもりなら、必ず!絶対!どうしても!一番最初に訪れなければならないところです。

なぜならば、南総里見八犬伝という物語の序盤の要となるところだから!

町名の「富山」とは、町の中心部に位置する山の名前から来ているんだけれども、この山こそが!
南総里見八犬伝を構成する全てのパーツといっても過言ではない!まぢで。

詳しくはおいおい説明していきますが、とにかくこの富山を語らずして南総里見八犬伝は語れない。そんなお山がある町、富山町(現・南房総市)。

そしてこの富山町に入るためには必ず通る道の駅、「富楽里とみやま」。
「道の駅」を名乗っていますが、実はここはハイウェイオアシス、つまり、館山自動車道のSAと一般道の道の駅を兼ねている。
つまり、上から行っても下から行っても、必ずこの場所は通る。

つまり!
つまりですよ!

里見八犬伝の旅はこの「道の駅 富楽里とみやま」から始まるといっていい!

肝心要の場所!
この燃え滾った馬琴熱を最初に叩きつけるのにまさにふさわしい場所!!!


・・・・・だというのに。


だというのに、だ。



・・・・・・・・。
まぁまぁまぁまぁ。まず。とりあえず。
何はともあれ入ってみましょうや。

すると、入ってすぐの軽食系のお店に、「伏姫さんが焼き」というメニューがある。
あ、「伏姫さん が 焼き」ではないです。「伏姫 さんが焼き」
おおおおお、こんなところに伏姫の名が!!
普通のさんが焼きとどう違うのかいまいち良くわからないけど、千葉県民のソウルフードさんが焼き!うまし!ご飯欲しい!
更に奥に進むとガラスケースに入った八房の像!でかい!牛柄!たぬママ可愛い!


        以上!!





・・・・・・・・・・・・・え?


まさしく「え?」なんである。
つまり、ここ、「道の駅 富楽里とみやま」での八犬伝ものは、この二つしかないんである。
(2014年追記:現在は伏姫バーガーなるものもあるらしいが未確認。)


えーと、あのー、あのね。
ちょっと横道それるんですが、私、宮城県は仙台市の出身でございましてね。
今、千葉嫁なんですけども、盆暮れは仙台に里帰りするわけなんですよ。
荷物も多いので毎回、車で帰るわけなんですが、千葉から仙台に帰るとなると、当然、首都高から東北自動車道に乗るわけなんですよ。
子供連れなのでトイレ休憩とかもあってSAは各駅停車するわけなんですよ。
そうすると当然売店とかも行くわけなんですよ。
毎年毎年東北自動車道の各SAを見てるのでね、うん。ちょっとね、毒されすぎてたかもしんない、私。
東北自動車道の凄まじい各種キャラグッズ展開が当たり前だと思っちゃいけなかったのかもしんない。
うん。きっとそう。そうね。

ちょっとそんな私の目には、ここのあっさり感はあまりにもあっさりしすぎていました。

もうちょっとね。
なんかあるかと思ったの。主にグッズ的な意味で。

だって、八犬伝っておいしいモチーフいっぱいなのよ?

まず、伏姫でしょ。お姫様。ちょう美人のお姫様。
そんでそのペットの犬の八房。もふもふケモケモ。
それだけでも山ほどグッズ考え付くよね。
ぶっちゃけ、そこいらの適当な犬のぬいぐるみに「八房」って名前つけて売ったってありだよね。
実は千葉にはちば犬というマスコットぬいぐるみがあるんだけど、こいつみたいな八房ぬいぐるみ作ったらきっとバカ売れよ? 更にお姫様ぬいぐるみもセットにしたら超売れ売れよ?
何故作らない南房総!!!
伏姫と八房をペアにしたキーホルダーとかストラップとか根付とかあほほど思いつくよね。
かわいいゆるキャラ系で売るのもありだし、萌えキャラかするのもありだし、浮世絵調だってぜんぜんありだよね。

あと八犬士。
すごいよ八犬士。8人も美形揃ってる。
正統派イケメンに従者系にちょい悪にヤンデレに男の娘に無骨系に朴訥系に天然無邪気天才系、なんでも揃ってる。
どことってもおいしい。どこカップリングしてもおいしい。八人勢ぞろいしても更においしい。
私の御贔屓は、断然、小文吾×毛野です。
一人ずつキャラ化してバラ売りストラップにしてもいいし、実はそのストラップにはクリップがついてて8人集めると全員繋がるようになってるとかでもおいしいし、何より玉!玉ですよ玉!
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌をそれぞれ掘り込んだ玉をつなげた数珠ブレスレットつくってもいいし、ちっちゃく作ってストラップにしてもいいし、根付にしてもいいし、ボールペンにしてもいいと思う。
ドラゴンボールのがちゃがちゃをぱくって透明スーパーボールに文字入れてがちゃがちゃにしてもいい!
伏姫ハンカチ、とか、靴下、とか、あとあと御当地キティちゃんとのコラボは?


も、ほんっと東北自動車道と比べるのよくないのかもしんないけど、東北自動車道のSAなんて、壁面全部御当地キャラグッズですよ?
仙台エリアなんて入ったら、伊達政宗だらけよ?
何人の伊達政宗がいるでしょう、くらいの勢いよ?
壁面全部政宗よ?(あと楽天イーグルス)
仙台、政宗でどんだけ稼ぐの?ってなありさまよ?

南房総もそのくらい八犬伝ではっちゃけてもよくねぇ?
なのにこの寂しさは何?
それ系グッズはなんっっっっにもない。
少なくとも私が見た限りでは一切合切さっぱりきっぱりなかった。皆無。

もうがっかり感満載。

でもでもまだ序盤だし、これから色々行くんだし、そこで何かあるに違いない!と無理やり自分を鼓舞させる私。
だってまだ朝だったし。
娘はテラテラしてるし。
(2014年追記:伏姫キティちゃんは存在しているようです。このブログを書いた当時あったのかどうかはわかりません。私は見つけられませんでした。)
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き ←今ここ
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
  6. 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
  7. 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
  8. 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
  10. 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋


本日、娘の10歳のお誕生日。
うちの娘さん、最近、里見八犬伝にはまっていらっしゃる。
なので、お誕生日に八犬伝ゆかりの地めぐりをプレゼントすることにしました。


実は以前にも一度、八犬伝に触れたくて館山市に行ったことがあったんだけど、その時は割りと行き当たりばったりに行ったせいで、いろいろ不首尾もあったりしたので、今回は事前にばっちり下調べもしました。

ママ超頑張った!
疲れた!
でも予習のおかげで満足度高し!
しかしなんというか、言いたいことも色々あった!
主に安房地域そのものに!
もうちょっとやる気出せよ的な!


とりあえず、旅レポの前に、今回のドライブのきっかけになった「里見八犬伝」という作品の解説をさせてください。長いです。


正しくは「南総里見八犬伝」。
江戸時代後期に、曲亭馬琴(きょくていばきん)/滝沢馬琴(たきざわばきん)という人が書いた、大大大大長編読本です。

「滝沢馬琴」という筆名の方が有名だけれど、作者の正しい筆名は「曲亭馬琴」。
滝沢馬琴、なんて、馬琴さん本人が名乗ったことはただの一度もありはしません。
この結滞極まりない「滝沢馬琴」という表記は、本名の「滝沢」に筆名の「馬琴」をくっつけたものと思われるが、これは明治時代以降に滝沢馬琴名義で著作が刊行されてから流布した表記だそうです。
何故、そんな筆名をこしらえてしまったかは謎。

とはいえ、馬琴という人は、wikipedia先生で調べただけでも、武家に生まれ、幼名を「春蔵」のち「倉蔵」といい、元服後は「左七郎興邦(さしちろうおきくに)」と名乗り、その後、武士としての名を捨てて通称を「瑣吉(さきち)」、諱を「解(とく)」に改めていて、婿入りしたら「清右衛門」を名乗り、隠居したら「蓑笠漁隠(さりつぎょいん)」と称するようになり、他にも「著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)」やら「笠翁(りつおう)」やら、「篁民(こうみん)」やら、「飯台陳人(はんだいちんじん)」やら、「玄同(げんどう)」やらと山ほど号していたので、一個くらい別名が増えてもきっと気にしない。かもしれない。

が、私個人としては、本人がちゃんとつけた筆名があるのに、他人が勝手に違う名前にこしらえた、というのが、なんともお尻がもじょもじょする…はっきりぶっちゃけちゃうと胸糞悪い、ので、「曲亭馬琴」と正しい筆名を表記したいと思っています。
※「松田聖子(本名:蒲池法子)さんが松田聖子という芸名で芸能活動をしていたのに、死後20年以上たって、何故か勝手に“蒲池聖子”という名前でCDが発売された、みたいな感じ」と説明されているサイトさんがいらしたが、実に秀逸な例えかと。
さて、その曲亭馬琴は、原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。と、wikipediaにあります。
つまり、死後数年を経て評価された、とかそういう系の作家ではなく、刊行当時に既に超売れっ子のベストセラー作家。
八犬伝だって刊行時のあおり文句は「あの曲亭馬琴の最新作!南総里見八犬伝!」てなもん。


その「南総里見八犬伝」のすっごく雑なあらすじは以下の通り。
  • 時は室町時代後期。
  • 里見パパ実が、悪い殿様1を倒してその嫁の玉梓も捕まえる。
  • 玉梓「死にたくない。殺さないで」
    里見パパ実「いいよー」→「やっぱ気が変わった。斬首」
    玉梓「絶対許さない。里見家を超超超呪ってやる」
  • それから16年後、別の悪い殿様2が攻め込んでくる。超負けそう。
  • 里見パパ実「おいポチ、敵の首を取ってきたらうちの可愛いむちゅめたんを嫁にやるよー。なんちって」
    →ポチ、マジで敵の首とって来た。
  • 里見パパ実「何であんな約束したんだろ。可愛い可愛いむちゅめの伏姫たんを犬の嫁とかやだお」
    伏姫たん「父ちゃん、そのいっぺん約束したこと後からなしにする癖直せよ。娘のあちしが落とし前つけて犬の嫁になるよ」
  • 伏姫たん、ポチこと八房と富山の洞窟にこもる。
  • 八房「伏姫たんhshs」
    伏姫「くんな犬っころ」
    八房「こうなったら気合で伏姫たん孕ませる」→懐妊
  • 伏姫「犬の仔とかやだやだ嘘嘘。獣姦なんかしてない。私は処女。証拠見せる。」
    →割腹くぱぁ。
  • 腹の中から謎光ぴかー。
    伏姫の数珠ぱーん。
    仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字入り大玉だけ八方に飛び散る。
  • 8つの玉はそれぞれ様々な経緯で8人の若者の手に。(八犬士)
  • 生まれも育ちも別々な8人の若者、最初はいざこざもあったけど最後には「俺達は仲間だ!」
  • そいでもってそりゃもういろんなことがあったけど、それは全部、死んだ玉梓の呪いのせいだった!
  • みんなで力を合わせて、ラスボスも撃破!ラストバトルも勝利!
  • 八犬士はそれぞれ里見家の姫と結婚して重臣になる。
  • 月日は流れ、年老いた八犬士はみんなでお山にこもって仙人になる。
  • 八犬士のいなくなった里見家は滅亡しました。めでたしめでたし。
まぁこんな感じ。ものすごく大雑把wwww


絶妙なフィクションと史実の融合。
そしてキャラクターの魅力。
さらには複雑に絡み合った因縁。当然、江戸時代の当時も、刊行されるや否や、即ベストセラーとなりました。
まだ完結してないうちから歌舞伎になり、浄瑠璃になり、常磐津になった。これは今と変わりませんな。マンガ連載中にアニメ化されるようなもん。
主役を張った歌舞伎役者はたちまち人気役者になり、その錦絵は飛ぶように売れ、挿絵をつけた浮世絵師はたちまち人気絵師になる。この辺も今と変わんない。
人気のあまり、風呂屋の暖簾にまでなったとか。グッズ展開ですな。
歌舞伎の評判が上がると、新刊待ってらんないんで、オリジナル展開の歌舞伎が上演されたりもする。これも今で言う、いわゆる、アニメオリジナル回という奴ですな。
そして、ちょっとでも連載滞ると「さっさと続き書けや、殺すぞ、ゴラァ!」みたいな脅迫まがいのファンレターが来るなんてところも今と全然変わらない。
八犬伝ファンが房総へ聖地巡礼ツアー組んだりなんかするのも今と変わらない。

その一方で馬琴さんのほうは超大変。
何しろ長期連載。
長期も長期。なんと連載期間28年。全98巻106冊。こち亀か。
実は長期過ぎて最初と後で設定違っちゃってるとこもあったり、ちょいつじつま合わなくなったりしてるとこもある。
(八犬士はそれぞれ体のどこかに牡丹のような痣があるという設定なのだが、前半と後半で痣の場所が変わってるキャラとかいる。)
後半の執筆は馬琴さんが失明したため、息子の嫁に口述筆記させていたというから尚大変。
あげく、馬琴さんの嫁が息子の嫁に嫉妬しちゃって家庭内はそりゃもう大変。
修羅の家か。
そんな環境で連載完結した馬琴さん、ちょうえらい。
風呂敷広げっぱなしで畳めなくなった長期連載マンガとかも多いのに!(誰とか言わないよ。言わないよ。ためしに【風呂敷畳めなくなった漫画】でぐぐったらいっぱい出てきたさwww)

実在の人物が山ほど出てきて、わりと書きたい放題書かれてる感のある南総里見八犬伝ですが、全巻刊行されたところを見ると、たぶん、当時、馬琴さんのところに関係者からのクレームとかは来なかったんでしょうね。
やはり改易された一族だからでしょうか。
(実在の里見家は江戸時代初期の1614年に実質改易されています。「南総里見八犬伝」初刊の刊行は江戸時代後期の1814年。同じ江戸時代と言っても馬琴さんからすれば200年も前に滅亡した一族という認識だったでしょうね。)

ちなみに、同じように実在の人物を題材にして同じ頃に上演された「鍋島の化け猫騒動」は、すぐに舞台となった鍋島藩から苦情が来て上演中止になっています。


そんな大変さを乗り越えて完成させた「南総里見八犬伝」。
そりゃもう売れた。売れに売れた。
そして当時も売れまくった八犬伝は、1814年の刊行開始から数えてちょうど200年たつ現代に至ってもまだ根強い人気があります。
いまだに歌舞伎の定番演目でもあるし、映画にも演劇にも数え切れないほどなっているし、定期的にドラマ化されてもいる。
モチーフになったアニメなんて数知れない。
南総里見八犬伝の原作を読んだことがないという人も、ドラマとかマンガとかで見たことある人も多いと思うし、それすらも見たことがないという人でも、八犬伝をモチーフに作品はなにかしら目にしてるはず。
だって、かのドラゴンボールだって、主人公の名前のせいで三国志モチーフだと思われがちだが、7つの玉を捜して旅するって明らかに八犬伝モチーフ。
かの某やんごとなきサーヤ様がおはまりあそばされてコミケ参加あそばされたとの伝説もある、サムライトルーパーだって八犬伝がモチーフ。
おまけに、たしか何かちょうど今、まさしく八犬伝の名を冠したちょっと腐っぽいアニメがやってたはず。見てないから詳しくは知らんのでごめんなさい。

ぶっちゃけ日本の文学界を紐解いてみても、こうまで時代を超えて愛されている作品って比類ないと思うし、あらゆる意味で日本が誇る文学作品の一つだと思います。



・・・と、ここまで、八犬伝めぐりにはふれもせずに、ただひたすら南総里見八犬伝という作品そのものについて長々としつこいくらい記述してまいりました。
なにゆえこんなにもくどく書き連ねたかと言うと、とにかく南総里見八犬伝という作品の凄さ、偉大さというものを知ってもらいたかったから。
そして、それなのに、ああそれなのに、と後述していきたかったから。


この作品にはまった人は、たぶんだれもが、この作品を、里見家が治めていた館山藩の人たちは、そりゃもう誇るべき! と、思うと思う。少なくとも私はそう。・・・・だったんだけれども。

八犬伝ムッハー!みたいな気持ちで南房総に行くと、正直、地元との温度差?みたいなものにあっけに取られるというか。
ぶっちゃけ、あんまり八犬伝的には盛り上がってないんですよ。南房総。
里見八犬伝押しで観光に行っても、今ひとつ感が拭えない。

なんかね、なんかね、なんかね、こう言ったら南房総の人怒るのかもしれないけど、・・・あんまり、南房総って八犬伝、大事にしてないよね・・・?

そんなことよりお花綺麗でしょう?とか、そんなことより海綺麗でしょう? とか、なんつーか全体的にそんな感じ。
なんでだろう。八犬伝なんていまさらめんどくさいとか思ってるのかな。

八犬伝ってそもそも刊行当時の江戸時代からミーハー人気が凄まじい作品なんだけどね。
むしろミーハー人気だけで200年変わらぬ火力を保ってるという、日本文学史の上でも稀有にして偉大な作品なんだけど。


ちょっと、南房総はあんまり八犬伝大事にしてない感ありあり、については、おいおい語っていきます。
とにかくちょいちょいそう思うことが多かったので。

それでもがっつり里見を堪能してきたので、その一日を追っていきたいと思います。



前置き長し。
プロフィール
HN:
玉撫子薫
性別:
女性
職業:
腐れ専業主婦
自己紹介:
仙台市出身。千葉県在住。
旦那様と息子と娘と猫3匹。
レコメンド
Copyright ©  腐れ主婦の徒然ブログ All Rights Reserved.
*Material by Pearl Box  * Template by tsukika
忍者ブログ [PR]