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腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
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※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
南総旅レポ記事一覧
  1. 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
  2. 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
  3. 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
  4. 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
  5. 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
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  9. 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
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  11. 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓 ←今ここ
  12. 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋



PM15:47

前回後半の与太話はさておき、次は、館山城の南麓へ。


ここに、八犬士のモデルだといわれている八遺臣の墓がある。

 

里見氏は10代忠義が末代で、その後、改易され断絶しているのだが、この忠義が死去した時に8人の側近が殉死し、忠義

と共に葬られ「八賢士」と讃えられた、と伝えられている。

この「八賢士」が「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルではないかと言われている。

で、ここにその八賢士の墓があるとのことなんだが、はて。

最後の里見当主となった里見忠義という人は、実は館山市ではなく鳥取県で亡くなっている。
どういうことかと言うと、忠義の正室は江戸幕府老中の大久保忠隣の孫娘なんだけれども、この大久保忠隣という老中が

、かの有名な大久保長安事件を受けて失脚してしまうんだが、里見忠義はこれに連座して、館山藩主から伯耆倉吉藩主に

減封されてしまうのだ。
伯耆国というのが今の鳥取県。倉吉藩は倉吉市として今もある。

当時の里見忠義の所領は、館山藩の9万石に戦功の常陸鹿島3万石の計12万石。
これが、事件の連座として、まず館山藩の9万石分がまるまる没収される。
でも鹿島領3万石については関ヶ原の戦いの戦功による加増地なので安堵された。
かと思いきや、伯耆倉吉藩3万石を代替として転封される事となってしまう。
そしていざ倉吉藩についてみると、3万石どころか4千石程度の所領しかなく、転封とは名ばかりで配流同然だった。
しかも三年後には鳥取藩主池田光政によってこの4千石の所領も召し上げられてしまう。

たぶん、これで忠義は完全に心が折れたんだろう。
その五年後に29歳の若さでこの地で病没する。

忠義の遺体は倉吉で荼毘に付され、この地にある大岳院というお寺に埋葬される。
この時、8人の家臣達が殉死し、8人の戒名に「賢」の字が共通して入っていたことから、「八賢士」と呼ばれるように

なり、この八賢士の墓も、忠義と共に大岳院にある。

ってちょっと待て。

話の背景は理解したが、つじつまが合わん。
八賢士の墓は鳥取の大岳院にあるが、千葉の館山にもあるって事?
それとも慰霊碑みたいなものが建ってるのか???

と思って調べたら、ここにある墓は分骨して建てたもんなんだそう。なるほど。


案内看板に従って、登ってきたのとは逆の方角を降りていく。
 
ここでも子供達は疲れ知らずにさっさと歩いていき、ママは取り残される。
もう子供達に置いていかれるのは慣れっこさ。悲しくなんかないやい。

しかし、ここからがまた過酷だった。

ここで先ほどの地図を見てみましょう。

「八遺臣の墓」は地図の一番上に表記されてします。
おわかりでしょうか。
この地図の感じで既に結構な距離があるっぽいのが。


すぐ着くかと思った八遺臣の墓は、山を下っても下っても辿りつかない。くじけそう。

まだ着かない。

最後の案内看板。

この先の階段を下りるとお墓がある。


降りてみてちょっとびっくりした。
ちゃんと、ちゃんとってのもおかしいが、がっつり本気のお墓だった。
なんつか、観光スポットっぽく、碑みたいになってるだけかと思いこんでたんだけど、
戒名の書かれた8本の卒塔婆と五輪塔。周りに石祠もあって、厳かな雰囲気。
・・・っていうか、ごめんなさい。ちょっとそこだけ薄暗くてちょい怖いくらいでしたです。

館山市による説明板とかもあったけど、お墓なので撮影はしないことに。
とりあえずお参りだけする。

お墓をさらに降りると山も終わりで、唐突に民家。そして広がる住宅地。
こんな山のぎりぎりまで民家があることにびっくり。
これ、家建てる時に、遺構とか陶器の類とか、出たりしなかったのかなぁ。。。出たと思うなぁ。。。
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プロフィール
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仙台市出身。千葉県在住。
旦那様と息子と娘と猫3匹。
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