腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
AM:10:50 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像。
さて、ここ犬掛地区は、南総里見八犬伝の中では、八房生誕の地として描かれています。
犬掛お堂前の農道を直進し、突き当たり手前を右折してちょっと行くと、春日神社という神社があります。
この麓に伏姫の愛犬、八房の像があります。
ここにある説明文にはこんな感じのことが書いてあります。
うん。
・・・・いや。
まてまて。
これだけ読むと確かになんかちょっといい話っぽいけど、ちょっと待て。
あれ、この文書いた人、八犬伝読んだ事ないのかな。はたまた読んだ上で因縁はどうあれ異種族同士の親子愛ウツクシスなのかな。
南総里見八犬伝を読むと、これがまさに因縁と怨念がどろどろに渦巻く怪奇な光景となるのだけれど、そこんとこは華麗にスルーか。南房総市のスルーりょくパネェっす。
何しろ八房は、のちに神格化した伏姫神の乗騎となるせいで聖獣の如く扱われていますが、そもそも諸悪の根源・玉梓の生まれ変わりにして怨念の塊。
この狸も八房に乳を与え続けたせいで、玉梓の怨念が一部乗り移っていて、八房が浄化したあとも里見家に祟り続け、あげく八百比丘尼に化けてボス化するのだ。
仔犬に乳をやりに狸が山を降りてくる部分も、母性愛あふれるほのぼのとした描写ではない。
黄昏時、鬼火か人魂かという光が滝田の方から閃き来て、中空から音を立てて落ちたかと思うと犬小屋の傍で忽然と消える。するとそれに誘われたかのように富山の方から狸が走ってきて犬小屋に入り仔犬に乳をやる、という光景は、ぶっちゃけちょっと怖い。
まず、時間帯がおかしい。黄昏時って。
黄昏の読みは「たそがれ」。語源は「誰そ彼」で、日が暮れて暗くなってきて向こうから人が来ても「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と訊ねないといけないほど人の顔がわからない時間、という意味だ。
そしてこの黄昏時の別名は「逢う魔が時」。読んで字の如く、魔物に会いそうな時間の事で、つまり、「日が暮れて暗くなってきて人の顔もわからないから、もしかしたら向こうからやってくるのは化け物や魑魅魍魎の類かもしれないよ。気をつけて」みたいな、ちょっと警戒の色を含んだ時間帯なのだ。
ついでに言うと、「逢う魔が時」は読みは同じで字を変えた「大禍時」という表記もある。大いなる災いが起きる時間、という意味。
人間の乳児ですらこの時間帯になると何故か理由もなしに泣き出す「黄昏泣き」をすることもあって、赤ん坊が大人には見えない魔を感知してるから、といわれたりすることもある時間なのだ。
次に、現れる光とやらがおかしい。
八犬伝で光といえば、すぐ思い出されるのは伏姫割腹時の傷口から流れ出た「白気」。
白く輝く不思議な光で、姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
この文章だけでとても美しい情景が眼に浮かぶ。
が、八房と狸の逸話に現れる光は、「鬼火か人魂か」なのである。
夕暮れ時に鬼火か人魂か…って、完全にホラー。
覗き見ちゃったお百姓さんもよく漏らさなかったものである。
これを「美しい動物物語」と言い切っちゃった南房総市の人、力技にも程がある。
まぁ、怨念の物語、とは、観光案内板には書けないかもしれないが。
像の八房は、短毛・鼻面しゅっ・三角立ち耳ピン・巻き尻尾くるん、と、柴犬っぽい典型的な日本犬の特徴を備えています。
これは「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も同じ。
八犬伝刊行当時の挿絵の浮世絵の八房も、そんな感じで描かれています。(絵によってはちょっと長毛っぽく見えるものもある)
大きさは子牛ほどというから、かなりの大型犬。
今、日本犬で一番大型なのは秋田犬だけど、それよりでかい。
体に八つの牡丹の花のような斑があることから「八房」と名づけられたとか。ブチ犬かわゆす。
浮世絵とか、道の駅に展示されてた像とかの八房は、黒ぶちの犬なんだけど、個人的には「牡丹の花のような」と形容されるなら黒ぶちより柔らかな色合いの茶ぶちの方がそれっぽいなぁ。
黒いブチだと、「牡丹の花のよう」というよりは「牛のよう」という形容になると思う。
子牛ほどの大きさで牛柄って、まんま牛だよね。もはや牛だよね。犬じゃなく。
「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も黒ブチだったので、とても牛柄でした。
この春日神社にある像はカラーリングしていないので、模様はわかりません。
ともあれ、がしっとしたイケメン犬とちまっとした狸の像には子供達のテンションも上がっておりました。
我が家で柴犬を飼っているせいか、こういう犬はかわゆすですな。
八房の像を見たらここ犬掛の御用は全部終了なんだが、もう一つ、心に留めておきたいことがあるので、改めてこの犬掛という場所をぐるっと見渡しておく。
今はのどかな田園風景がただ広がるばかりの犬掛地区。
史実ではここで犬掛の合戦という里見氏同士の戦いがあり、更に里見家3代当主と5代当主のお墓もある。お寺もあったらしい。
八犬伝では八房が生まれたところであり、そして!これだけは外せない。毛野ファンとして。
ここ、犬掛は、物語の終盤で、八犬士の一人、超絶美形男の娘にして策士&軍師の、私と娘の超押しメンw犬坂毛野たんが城を構えたところでもあるのだ。
もちろん史実ではここに城があったという記録はない。寺はあったらしいが。周囲の城跡は全て山の中にあるのに比べて、犬掛は辺り一面平野すぎる。
でもでも、毛野たんが!毛野たんの城がここに!と思うだけでテンションだだあがり。
田んぼの奥はちょっと森深くなっていて、少し高台なので、きっときっとこの森の辺りにお城があったに違いない!
北西に聖地・富山を、南西に全ての因縁の始まり・滝田城を望む、この地に。
そんな感じで、毛野たんの残り香をムリヤリ嗅ぎながら、我らファミリーは次なる目的地、滝田城へ!
南総旅レポ記事一覧
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AM:10:50 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像。
さて、ここ犬掛地区は、南総里見八犬伝の中では、八房生誕の地として描かれています。
犬掛お堂前の農道を直進し、突き当たり手前を右折してちょっと行くと、春日神社という神社があります。
この麓に伏姫の愛犬、八房の像があります。
ここにある説明文にはこんな感じのことが書いてあります。
- 百姓の家に仔犬が生まれる。
- 母犬は狼に食い殺される。
- 百姓は独り者で野良仕事が忙しく子犬を育てられない。
- 仕方なくほったらかしていたが何故か仔犬は丸々と成長していく。
- 不審に思った百姓が覗き見すると、富山の方角から年老いた狸が仔犬に乳を与えにきていた。
- 狸に育てられた犬として有名になる。
- 里見パパ実が噂を聞きつける。
- 仔犬は八房と名づけられて伏姫の愛犬となる。
- 狸に育てられた名犬という美しい動物物語として語り継がれている。
- この美しい物語を語り伝えようと像を建立した。
うん。
・・・・いや。
まてまて。
これだけ読むと確かになんかちょっといい話っぽいけど、ちょっと待て。
あれ、この文書いた人、八犬伝読んだ事ないのかな。はたまた読んだ上で因縁はどうあれ異種族同士の親子愛ウツクシスなのかな。
南総里見八犬伝を読むと、これがまさに因縁と怨念がどろどろに渦巻く怪奇な光景となるのだけれど、そこんとこは華麗にスルーか。南房総市のスルーりょくパネェっす。
何しろ八房は、のちに神格化した伏姫神の乗騎となるせいで聖獣の如く扱われていますが、そもそも諸悪の根源・玉梓の生まれ変わりにして怨念の塊。
この狸も八房に乳を与え続けたせいで、玉梓の怨念が一部乗り移っていて、八房が浄化したあとも里見家に祟り続け、あげく八百比丘尼に化けてボス化するのだ。
仔犬に乳をやりに狸が山を降りてくる部分も、母性愛あふれるほのぼのとした描写ではない。
黄昏時、鬼火か人魂かという光が滝田の方から閃き来て、中空から音を立てて落ちたかと思うと犬小屋の傍で忽然と消える。するとそれに誘われたかのように富山の方から狸が走ってきて犬小屋に入り仔犬に乳をやる、という光景は、ぶっちゃけちょっと怖い。
まず、時間帯がおかしい。黄昏時って。
黄昏の読みは「たそがれ」。語源は「誰そ彼」で、日が暮れて暗くなってきて向こうから人が来ても「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と訊ねないといけないほど人の顔がわからない時間、という意味だ。
そしてこの黄昏時の別名は「逢う魔が時」。読んで字の如く、魔物に会いそうな時間の事で、つまり、「日が暮れて暗くなってきて人の顔もわからないから、もしかしたら向こうからやってくるのは化け物や魑魅魍魎の類かもしれないよ。気をつけて」みたいな、ちょっと警戒の色を含んだ時間帯なのだ。
ついでに言うと、「逢う魔が時」は読みは同じで字を変えた「大禍時」という表記もある。大いなる災いが起きる時間、という意味。
人間の乳児ですらこの時間帯になると何故か理由もなしに泣き出す「黄昏泣き」をすることもあって、赤ん坊が大人には見えない魔を感知してるから、といわれたりすることもある時間なのだ。
次に、現れる光とやらがおかしい。
八犬伝で光といえば、すぐ思い出されるのは伏姫割腹時の傷口から流れ出た「白気」。
白く輝く不思議な光で、姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
この文章だけでとても美しい情景が眼に浮かぶ。
が、八房と狸の逸話に現れる光は、「鬼火か人魂か」なのである。
夕暮れ時に鬼火か人魂か…って、完全にホラー。
覗き見ちゃったお百姓さんもよく漏らさなかったものである。
これを「美しい動物物語」と言い切っちゃった南房総市の人、力技にも程がある。
まぁ、怨念の物語、とは、観光案内板には書けないかもしれないが。
像の八房は、短毛・鼻面しゅっ・三角立ち耳ピン・巻き尻尾くるん、と、柴犬っぽい典型的な日本犬の特徴を備えています。
これは「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も同じ。
八犬伝刊行当時の挿絵の浮世絵の八房も、そんな感じで描かれています。(絵によってはちょっと長毛っぽく見えるものもある)
大きさは子牛ほどというから、かなりの大型犬。
今、日本犬で一番大型なのは秋田犬だけど、それよりでかい。
体に八つの牡丹の花のような斑があることから「八房」と名づけられたとか。ブチ犬かわゆす。
浮世絵とか、道の駅に展示されてた像とかの八房は、黒ぶちの犬なんだけど、個人的には「牡丹の花のような」と形容されるなら黒ぶちより柔らかな色合いの茶ぶちの方がそれっぽいなぁ。
黒いブチだと、「牡丹の花のよう」というよりは「牛のよう」という形容になると思う。
子牛ほどの大きさで牛柄って、まんま牛だよね。もはや牛だよね。犬じゃなく。
「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も黒ブチだったので、とても牛柄でした。
この春日神社にある像はカラーリングしていないので、模様はわかりません。
ともあれ、がしっとしたイケメン犬とちまっとした狸の像には子供達のテンションも上がっておりました。
我が家で柴犬を飼っているせいか、こういう犬はかわゆすですな。
八房の像を見たらここ犬掛の御用は全部終了なんだが、もう一つ、心に留めておきたいことがあるので、改めてこの犬掛という場所をぐるっと見渡しておく。
今はのどかな田園風景がただ広がるばかりの犬掛地区。
史実ではここで犬掛の合戦という里見氏同士の戦いがあり、更に里見家3代当主と5代当主のお墓もある。お寺もあったらしい。
八犬伝では八房が生まれたところであり、そして!これだけは外せない。毛野ファンとして。
ここ、犬掛は、物語の終盤で、八犬士の一人、超絶美形男の娘にして策士&軍師の、私と娘の超押しメンw犬坂毛野たんが城を構えたところでもあるのだ。
もちろん史実ではここに城があったという記録はない。寺はあったらしいが。周囲の城跡は全て山の中にあるのに比べて、犬掛は辺り一面平野すぎる。
でもでも、毛野たんが!毛野たんの城がここに!と思うだけでテンションだだあがり。
田んぼの奥はちょっと森深くなっていて、少し高台なので、きっときっとこの森の辺りにお城があったに違いない!
北西に聖地・富山を、南西に全ての因縁の始まり・滝田城を望む、この地に。
そんな感じで、毛野たんの残り香をムリヤリ嗅ぎながら、我らファミリーは次なる目的地、滝田城へ!
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