腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
◆子育ては
そんなわけで、うちの仔猫達です。
黒茶、三毛、黒トラ の三匹。
5/2生まれなので、生後一ヵ月半というとこかな。
三匹とも離乳しまして、やわらかいエサを食べてます。三毛はかりかりも食べます。
ただいま里親募集中。
一番手前の黒トラが、一番人懐っこくて愛想もいいです。お胸が白で足の先も白。自分から人によってきてすりすりします。尻尾はどうも鉤尻尾みたい。
その奥で寝そうになっている三毛は、捕獲できたのがもっとも遅く、そのせいかだいぶまだ野良です。なかなかなついてくれなくて、すぐたんすの陰や下駄箱の中に隠れようとします。傍に兄弟がいないと悲しくて泣き出します。でも毛並みは一番綺麗。どうも長毛っぽくて尻尾も長いです。ふわふわ。
左で既に寝ている黒茶は、実は片目です。捕獲したとき既に左目がつぶれていて、現在治療中ですが、どうも見えるようにはならないかも。たぶん貰い手はつかないと思うので、このままうちの子になると思うな。毛は一番短い。尻尾も短い。毛の色が熊っぽい。
ジーパン穿いてるのが辛くなり、夏物のスパッツを出して穿いたらきつくて穿けない。
タンスに入れている間に縮むなんて最近のスパッツ軟弱すぎ。
タンスに入れている間に縮むなんて最近のスパッツ軟弱すぎ。
うちの猫、正確に言うと、うちでエサをやってるけど全く懐かない撫でさせてもくれない半野良の猫、が仔を産んだ。
寝床にしてる作業小屋の段ボール箱の中で産んだ。と、昨日、夕飯の席で姑に言われた。
「猫が仔を産んだよ。どうすんだよ。まだ小さいから始末するなら今のうちだよ。」
こちらでどうするか決めないと殺すよ、という意味だと思ったので、子供達と考えた。
3匹生まれたらしいので、1匹はうちで飼う。
2匹は貰い手を捜す。
野良の雑種なんて貰い手は見つからないかもしれない。
でも、半野良を半野良だからと避妊せず(まぁそもそも触らせてくれないから捕獲もできなかったのだが)、仔猫が生まれるようになってしまったのはうちの責任なので、貰い手は一生懸命探す。
で、今日。
朝、仔猫を見に行こうと作業小屋に行ったが、猫の寝床に仔はいない。
母猫がどこかに隠したのかとも思ったが、母猫の様子もなんかおかしい。
農作業から帰ってきた姑に聞いたら、「今朝早く舅が捨ててきた」という。
そのうえ、「子供達には、母猫がどっかに隠したことにしておいて」とも言われた。
……なんかそれ違くねぇ?
「どうするんだ」と聞かれたから仔猫の去就についてはこっちに決定権が委ねられたと思った。
なのに、こっちの意見も聞かずに捨ててきたってなんかおかしくない?
そもそも最初から捨てる気だったんなら、
「仔猫が生まれた」なんて子供達に言わなければいいのでは?
母猫が隠したと言ったら、子供達は一生懸命捜すだろう。
事実、現に今、子供達は庭中を猫を探しまくっている。それは放置なの?
仔猫が生まれた事と、「どうするんだ」と言った事で、仔猫の現実は子供達にきちんと話すべき、と思ったので、私は、「最初から猫を捨てる気なら子供達に猫のこと言わないで黙って捨てて。どうするんだ、とか聞かないで。」と姑に言って、子供達に、仔猫は捨てられたことを言った。
そしたら姑は「じゃあ拾ってくれば?じじ(舅)がビニール袋に入れて何処其処に捨てたから。」と言ったので、子供達は泣きながらそこにダッシュしていった。(が、遠かったので姑が子供達を軽トラに乗せて現場まで行った)
正直、それも違くねぇ?と思った。ビニール袋に入れて空き地に放置て。
死んだ大姑はクソだったが、野良猫が産んだ仔に関しては少なくともちゃんと殺していた。
生き物の命を奪うという事の是非は置いといて、うちで生まれたものが飼えないなら殺す、というのは、ある意味、生き物の命に対して責任を持っていると言えなくもない。と、賛同は全くしないが理解はしていた。
でも生きている状態のものをビニール袋に入れて放置するのは、責任を取ったとはいえないと思う。
例えば、これから連休なわけだけども、散歩する人が動くビニール袋を見つけて中を見たらどんな気がするだろう?それが子供だったら?
結局、子供達は仔猫を見つけ出して母猫の元に返したけれど、
なんかぐったりしていて、生き延びるかどうかわからない。
回収すべきかと思ったんだが、母猫が咥えてでかい冷蔵庫の下にもぐりこんでしまった。
さっき見たら鳴き声はなんとなくしていたようだったけど。
そういえば結局、3匹じゃなくて4匹いた。
うちで一匹飼うつもりだったけど、パパに反対されて4匹とも引き取り手を探すことになった。
姑は「野良の貰い手なんて見つからないんだから捨てとけばよかったのに」的なことを言ってたけど、
それもなんか違うと思う。
息子が猫を捨てた舅に「てめぇ」とか「殺人者」とか暴言を吐いたんで、それはごめんなさいさせないと、と思っている。(殺「人」ではないしな。)ので、息子と話をしたけど、それこそ毛を逆立てた猫みたいになってて大変。ぼろぼろ泣いてるし。泣くな中学生。
君の言ったことは間違っていないが、君の使った言葉は間違っている。
という事をこんこんと説明すること小一時間。
「てめぇと言ってごめんなさい。でも言ったことは謝りません。」と謝る、と約束してくれたが、さて、あの舅に話が通じるかどうか。
基本的に格下の相手からの話は聞かない、という家だからな。
死んだ大姑もそうだったし、その長男である舅もそうだ。
なんかいろいろ、今回の事に関してはうまく言えないもやもやもあって釈然としない。
実は一番釈然としないのは、猫を捨てた舅に対してというより、姑に関してだったりする。
確かに猫を捨てた張本人は舅だが、
むしろ姑が問題を引っ掻き回している気がする…。
そもそも姑が昨日の夕飯の席で仔猫の話題を出さなければ、それで終わった問題だったような気がする。
(猫の命をどうこうという問題は全く別問題としてこっちにおいといて、という前提になるが。)
なーんかねぇー・・・姑が胃がんで手術して退院してから、姑に違和感を覚えることが多くなってきたんだよねぇ・・・。
なんか変なこと言うなぁ、みたいな。
舅とけんかしてるのとかも、それを言わなきゃいいのにみたいな事をわざわざ言って舅を更に激昂させたり、みたいなことが散見するというか。
胃がんの手術してから姑の味覚の好みがずいぶん変わったなっていうのはわかってたんだけど、胃を切り取ると性格も変わるのかな・・・。
別人レベルになったとか言うんじゃなく、なんかかすぽーーーんと抜けちゃった感じなんだよな。
ここから先は口に出してはいけませんよ、みたいな心の中の垣根を切除しちゃったのかな・・・。
胃壁にくっついてたのかな、心の垣根・・・。
とりあえず、母猫に関してはマタタビで酔わせて捕獲して不妊手術をしよう。と思った。
寝床にしてる作業小屋の段ボール箱の中で産んだ。と、昨日、夕飯の席で姑に言われた。
「猫が仔を産んだよ。どうすんだよ。まだ小さいから始末するなら今のうちだよ。」
こちらでどうするか決めないと殺すよ、という意味だと思ったので、子供達と考えた。
3匹生まれたらしいので、1匹はうちで飼う。
2匹は貰い手を捜す。
野良の雑種なんて貰い手は見つからないかもしれない。
でも、半野良を半野良だからと避妊せず(まぁそもそも触らせてくれないから捕獲もできなかったのだが)、仔猫が生まれるようになってしまったのはうちの責任なので、貰い手は一生懸命探す。
で、今日。
朝、仔猫を見に行こうと作業小屋に行ったが、猫の寝床に仔はいない。
母猫がどこかに隠したのかとも思ったが、母猫の様子もなんかおかしい。
農作業から帰ってきた姑に聞いたら、「今朝早く舅が捨ててきた」という。
そのうえ、「子供達には、母猫がどっかに隠したことにしておいて」とも言われた。
……なんかそれ違くねぇ?
「どうするんだ」と聞かれたから仔猫の去就についてはこっちに決定権が委ねられたと思った。
なのに、こっちの意見も聞かずに捨ててきたってなんかおかしくない?
そもそも最初から捨てる気だったんなら、
「仔猫が生まれた」なんて子供達に言わなければいいのでは?
母猫が隠したと言ったら、子供達は一生懸命捜すだろう。
事実、現に今、子供達は庭中を猫を探しまくっている。それは放置なの?
仔猫が生まれた事と、「どうするんだ」と言った事で、仔猫の現実は子供達にきちんと話すべき、と思ったので、私は、「最初から猫を捨てる気なら子供達に猫のこと言わないで黙って捨てて。どうするんだ、とか聞かないで。」と姑に言って、子供達に、仔猫は捨てられたことを言った。
そしたら姑は「じゃあ拾ってくれば?じじ(舅)がビニール袋に入れて何処其処に捨てたから。」と言ったので、子供達は泣きながらそこにダッシュしていった。(が、遠かったので姑が子供達を軽トラに乗せて現場まで行った)
正直、それも違くねぇ?と思った。ビニール袋に入れて空き地に放置て。
死んだ大姑はクソだったが、野良猫が産んだ仔に関しては少なくともちゃんと殺していた。
生き物の命を奪うという事の是非は置いといて、うちで生まれたものが飼えないなら殺す、というのは、ある意味、生き物の命に対して責任を持っていると言えなくもない。と、賛同は全くしないが理解はしていた。
でも生きている状態のものをビニール袋に入れて放置するのは、責任を取ったとはいえないと思う。
例えば、これから連休なわけだけども、散歩する人が動くビニール袋を見つけて中を見たらどんな気がするだろう?それが子供だったら?
結局、子供達は仔猫を見つけ出して母猫の元に返したけれど、
なんかぐったりしていて、生き延びるかどうかわからない。
回収すべきかと思ったんだが、母猫が咥えてでかい冷蔵庫の下にもぐりこんでしまった。
さっき見たら鳴き声はなんとなくしていたようだったけど。
そういえば結局、3匹じゃなくて4匹いた。
うちで一匹飼うつもりだったけど、パパに反対されて4匹とも引き取り手を探すことになった。
姑は「野良の貰い手なんて見つからないんだから捨てとけばよかったのに」的なことを言ってたけど、
それもなんか違うと思う。
息子が猫を捨てた舅に「てめぇ」とか「殺人者」とか暴言を吐いたんで、それはごめんなさいさせないと、と思っている。(殺「人」ではないしな。)ので、息子と話をしたけど、それこそ毛を逆立てた猫みたいになってて大変。ぼろぼろ泣いてるし。泣くな中学生。
君の言ったことは間違っていないが、君の使った言葉は間違っている。
という事をこんこんと説明すること小一時間。
「てめぇと言ってごめんなさい。でも言ったことは謝りません。」と謝る、と約束してくれたが、さて、あの舅に話が通じるかどうか。
基本的に格下の相手からの話は聞かない、という家だからな。
死んだ大姑もそうだったし、その長男である舅もそうだ。
なんかいろいろ、今回の事に関してはうまく言えないもやもやもあって釈然としない。
実は一番釈然としないのは、猫を捨てた舅に対してというより、姑に関してだったりする。
確かに猫を捨てた張本人は舅だが、
- 子供達もいる食卓で猫の話題を出した。(舅はその時いなかった)
- 「どうするんだ」と丸投げするような発言をした。
- どうするんだ、と言っておきながら、翌日、猫を捨てる舅を止めなかった。
- 猫を捨てたことを子供達にごまかそうとした。
- 子供達が抗議すると捨てた場所まで子供達を連れて行ってはくれたが、拾ってきたらぶつぶつ文句を言う。
- 「どうせ貰い手なんか見つからないんだから」「あーあ、これから大変だ。春と秋にどんどん仔猫は増えるからね」と聞こえよがしにいやみを言う。
むしろ姑が問題を引っ掻き回している気がする…。
そもそも姑が昨日の夕飯の席で仔猫の話題を出さなければ、それで終わった問題だったような気がする。
(猫の命をどうこうという問題は全く別問題としてこっちにおいといて、という前提になるが。)
なーんかねぇー・・・姑が胃がんで手術して退院してから、姑に違和感を覚えることが多くなってきたんだよねぇ・・・。
なんか変なこと言うなぁ、みたいな。
舅とけんかしてるのとかも、それを言わなきゃいいのにみたいな事をわざわざ言って舅を更に激昂させたり、みたいなことが散見するというか。
胃がんの手術してから姑の味覚の好みがずいぶん変わったなっていうのはわかってたんだけど、胃を切り取ると性格も変わるのかな・・・。
別人レベルになったとか言うんじゃなく、なんかかすぽーーーんと抜けちゃった感じなんだよな。
ここから先は口に出してはいけませんよ、みたいな心の中の垣根を切除しちゃったのかな・・・。
胃壁にくっついてたのかな、心の垣根・・・。
とりあえず、母猫に関してはマタタビで酔わせて捕獲して不妊手術をしよう。と思った。
調べ物でネサフしていたら、ちょっと納得のいかん記述があったので、とりあえずここに書いておく。
+ + + +
かのえいこうの実家として有名になった櫻田山神社ですが、wikipedia見てたらなかなか興味深かった。
武烈天皇といえば、歴代天皇の中でもとびっきり奇天烈なエピソードが日本書紀に書かれている天皇ですな。
なもんで、私はてっきり武烈天皇は天皇家の歴史の中でも黒歴史的な扱いをされてる人だと思ってたんだけど、主祭神としている神社があったんだねぇー。しかも東北に!
と思って調べてみたら、なんかやたら栗原あたりには武烈天皇を主祭神にした神社が点在してるのね。へーーーー。うわーちゃんと調べたい。いつか調べよう。
とりあえず、武烈天皇のことについてはひとまず置いておく。
詳しく知りたい人は各自wikipedia先生にでも聞いてみるが良い。
で、ここで取り上げるのは、
武烈天皇に仕える狩野掃部之祐及び久我大連の両名 ←これ。
櫻田山神社について、他に情報はないかとぐぐり旅に出ていたんだけど、
その中で、たぶん個人サイトさんだと思うんだけど、
「狩野掃部之祐」と「久我大連」について、
「かのそべのすけ」と「くがたいれん」とルビを振っているサイトがあって、
さすがにそれはないでしょ!!??と仰天しまして。
他に読みについて記述してあるサイトがないかしらとか探したんだけどなくて、(2ちゃんのスレのまとめらしきサイトでも「そべのすけ」と書いてあったんだけど、たぶんそれはこの個人サイトをコピペしたんだと思う。)
これはもう宮城県の神社庁か櫻田山神社に直接問い合わせた方早いんじゃないかとか思ったんだけど、いやいや、そんなこと問い合わされても困るよな実際、とか思いとどまったりして、もう大変。(私の脳内が。)
「狩野掃部之祐」と「久我大連」の読みっつったら、あなた。
「かのかもんのすけ」と「くがおおむらじ」でしょ。JK
どっから出てきた。そべのすけ。
そwwwべwwwのwwwすwwwけwww ってレベルで無いわぁ。
「掃部之祐」も「大連」も役職名で個人名ではありません。
辞書引くなりぐぐるなりしてもらえばすぐわかることなんだけど、
「掃部之祐(かもんのすけ)」は「掃部頭(かもんのかみ)」のすぐ下の役職(次官)のことで、
殿中のお掃除をする人、
「大連(おおむらじ)」は天皇の補佐をする人。
お部屋のお掃除の人は天皇の私室にまで入るわけだから、天皇の私生活で近しい存在だし、
大連といえば、家臣の中の最高位の「連」の中でも更にトップ。超エリート。
wikipediaの櫻田山神社の記事に、
天皇の側近と書かれるのも納得の立場の二人だというわけ。
ちなみに、「そべ」で「掃部」は変換されませんが、「かもん」ならばちゃんと変換されます。
同じく、「たいれん」で「大連」は変換されませんが、「おおむらじ」と打てばちゃんと変換されます。
とはいうものの、武烈天皇の時代の大連は「大伴金村」という人だとはっきりと日本書紀に掲載されているんだよね。(あと、物部麁鹿火)
大伴金村は武烈天皇の即位直後に大連の地位につき、武烈天皇の後の継体天皇の更に後の安閑天皇のそのまた後の宣化天皇のその次の欽明天皇の代まで大連を勤めている。
日本書紀には「久我」という名の大連はいないんだな。
加えて「久我」も「狩野」も、古墳時代にはあまりいない姓なので、神社庁の語る「由来」には少々矛盾点があることになる。…が、まぁ、よくあることっちゃよくあることだ。竹駒稲荷だって「小倉百人一首にも名を連ねる参議小野篁卿が陸奥守として御着任の際、東北開拓・産業開発の大神として御創建され」とか書いてあるが、小野篁が陸奥国司だった記録はないからな。(父親が陸奥国司だったため子供の頃に陸奥に来ているという記録はある。)
だからといって、神社の由来そのものを否定するわけじゃないんだけどね。
少なくとも、今から1500年も前に、東北の地に武烈天皇を祭神として神社を建てた人間は実在するんだと思うよ。
+ + + +
かのえいこうの実家として有名になった櫻田山神社ですが、wikipedia見てたらなかなか興味深かった。
山神社は、人皇第25代武烈天皇に仕える狩野掃部之祐及び久我大連の両名が西暦506年12月8日天皇崩御の後、故あって東駒形山の麓に巡礼に参り天皇を追想して御影を建社し、これを山神社と尊称した。明治12年6月に村社に列し、同41年12月に桜田中屋敷の八幡神社を合祀する。大正15年7月幣帛供進社に指定される。社殿は、天喜及び天正の時代と明治16年に火災に遭遇しました。特に明治時代の火災の際は、拝殿と古文書等が焼失し本殿と社額(文化10年制作)のみが残った。地区内外の氏子・崇敬者を始め多数の信者の寄進により、白木流造りの彫刻付き(唐棟風)、御拝柱は勾欄付き、天井は絵で装飾(絵は寛政3年制作)の神明造りの拝殿を大正13年10月に起工し、大正14年4月に完成した。社殿は、昭和61年10月に栗駒町有形文化財(平成17年4月には栗原市有形文化財)の指定を受けている。また、境内地内には、「親子桜」・樹齢二千年(大正4年5月30日発行の宮城県林業資料参照)の「子桜」が立っており、歴史的に価値ある樹木として氏子から保存菅理されている。また、栗駒町有形文化財の指定受けている「桜田ばやし」は、山神社の春の大祭時に奉納し、各方面から多数の見物者が来訪して五穀豊饒・無病息災等を始め古来からの安産の守護神として信仰を集めている。へえええええーーーーー。主祭神は武烈天皇なのかぁ!!(宮城県神社庁のサイトより引用)
武烈天皇といえば、歴代天皇の中でもとびっきり奇天烈なエピソードが日本書紀に書かれている天皇ですな。
なもんで、私はてっきり武烈天皇は天皇家の歴史の中でも黒歴史的な扱いをされてる人だと思ってたんだけど、主祭神としている神社があったんだねぇー。しかも東北に!
と思って調べてみたら、なんかやたら栗原あたりには武烈天皇を主祭神にした神社が点在してるのね。へーーーー。うわーちゃんと調べたい。いつか調べよう。
とりあえず、武烈天皇のことについてはひとまず置いておく。
詳しく知りたい人は各自wikipedia先生にでも聞いてみるが良い。
で、ここで取り上げるのは、
武烈天皇に仕える狩野掃部之祐及び久我大連の両名 ←これ。
櫻田山神社について、他に情報はないかとぐぐり旅に出ていたんだけど、
その中で、たぶん個人サイトさんだと思うんだけど、
「狩野掃部之祐」と「久我大連」について、
「かのそべのすけ」と「くがたいれん」とルビを振っているサイトがあって、
さすがにそれはないでしょ!!??と仰天しまして。
他に読みについて記述してあるサイトがないかしらとか探したんだけどなくて、(2ちゃんのスレのまとめらしきサイトでも「そべのすけ」と書いてあったんだけど、たぶんそれはこの個人サイトをコピペしたんだと思う。)
これはもう宮城県の神社庁か櫻田山神社に直接問い合わせた方早いんじゃないかとか思ったんだけど、いやいや、そんなこと問い合わされても困るよな実際、とか思いとどまったりして、もう大変。(私の脳内が。)
「狩野掃部之祐」と「久我大連」の読みっつったら、あなた。
「かのかもんのすけ」と「くがおおむらじ」でしょ。JK
(「久我」に関しては「くが」ではなく「こが」の可能性もある。)
どっから出てきた。そべのすけ。
そwwwべwwwのwwwすwwwけwww ってレベルで無いわぁ。
「掃部之祐」も「大連」も役職名で個人名ではありません。
辞書引くなりぐぐるなりしてもらえばすぐわかることなんだけど、
「掃部之祐(かもんのすけ)」は「掃部頭(かもんのかみ)」のすぐ下の役職(次官)のことで、
殿中のお掃除をする人、
「大連(おおむらじ)」は天皇の補佐をする人。
お部屋のお掃除の人は天皇の私室にまで入るわけだから、天皇の私生活で近しい存在だし、
大連といえば、家臣の中の最高位の「連」の中でも更にトップ。超エリート。
wikipediaの櫻田山神社の記事に、
天皇の側近と書かれるのも納得の立場の二人だというわけ。
ちなみに、「そべ」で「掃部」は変換されませんが、「かもん」ならばちゃんと変換されます。
同じく、「たいれん」で「大連」は変換されませんが、「おおむらじ」と打てばちゃんと変換されます。
とはいうものの、武烈天皇の時代の大連は「大伴金村」という人だとはっきりと日本書紀に掲載されているんだよね。(あと、物部麁鹿火)
大伴金村は武烈天皇の即位直後に大連の地位につき、武烈天皇の後の継体天皇の更に後の安閑天皇のそのまた後の宣化天皇のその次の欽明天皇の代まで大連を勤めている。
日本書紀には「久我」という名の大連はいないんだな。
加えて「久我」も「狩野」も、古墳時代にはあまりいない姓なので、神社庁の語る「由来」には少々矛盾点があることになる。…が、まぁ、よくあることっちゃよくあることだ。竹駒稲荷だって「小倉百人一首にも名を連ねる参議小野篁卿が陸奥守として御着任の際、東北開拓・産業開発の大神として御創建され」とか書いてあるが、小野篁が陸奥国司だった記録はないからな。(父親が陸奥国司だったため子供の頃に陸奥に来ているという記録はある。)
だからといって、神社の由来そのものを否定するわけじゃないんだけどね。
少なくとも、今から1500年も前に、東北の地に武烈天皇を祭神として神社を建てた人間は実在するんだと思うよ。