腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
本日、娘の10歳のお誕生日。
うちの娘さん、最近、里見八犬伝にはまっていらっしゃる。
なので、お誕生日に八犬伝ゆかりの地めぐりをプレゼントすることにしました。
実は以前にも一度、八犬伝に触れたくて館山市に行ったことがあったんだけど、その時は割りと行き当たりばったりに行ったせいで、いろいろ不首尾もあったりしたので、今回は事前にばっちり下調べもしました。
ママ超頑張った!
疲れた!
でも予習のおかげで満足度高し!
しかしなんというか、言いたいことも色々あった!
主に安房地域そのものに!
もうちょっとやる気出せよ的な!
とりあえず、旅レポの前に、今回のドライブのきっかけになった「里見八犬伝」という作品の解説をさせてください。長いです。
正しくは「南総里見八犬伝」。
江戸時代後期に、曲亭馬琴(きょくていばきん)/滝沢馬琴(たきざわばきん)という人が書いた、大大大大長編読本です。
「滝沢馬琴」という筆名の方が有名だけれど、作者の正しい筆名は「曲亭馬琴」。
滝沢馬琴、なんて、馬琴さん本人が名乗ったことはただの一度もありはしません。
この結滞極まりない「滝沢馬琴」という表記は、本名の「滝沢」に筆名の「馬琴」をくっつけたものと思われるが、これは明治時代以降に滝沢馬琴名義で著作が刊行されてから流布した表記だそうです。
何故、そんな筆名をこしらえてしまったかは謎。
とはいえ、馬琴という人は、wikipedia先生で調べただけでも、武家に生まれ、幼名を「春蔵」のち「倉蔵」といい、元服後は「左七郎興邦(さしちろうおきくに)」と名乗り、その後、武士としての名を捨てて通称を「瑣吉(さきち)」、諱を「解(とく)」に改めていて、婿入りしたら「清右衛門」を名乗り、隠居したら「蓑笠漁隠(さりつぎょいん)」と称するようになり、他にも「著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)」やら「笠翁(りつおう)」やら、「篁民(こうみん)」やら、「飯台陳人(はんだいちんじん)」やら、「玄同(げんどう)」やらと山ほど号していたので、一個くらい別名が増えてもきっと気にしない。かもしれない。
が、私個人としては、本人がちゃんとつけた筆名があるのに、他人が勝手に違う名前にこしらえた、というのが、なんともお尻がもじょもじょする…はっきりぶっちゃけちゃうと胸糞悪い、ので、「曲亭馬琴」と正しい筆名を表記したいと思っています。
つまり、死後数年を経て評価された、とかそういう系の作家ではなく、刊行当時に既に超売れっ子のベストセラー作家。
八犬伝だって刊行時のあおり文句は「あの曲亭馬琴の最新作!南総里見八犬伝!」てなもん。
その「南総里見八犬伝」のすっごく雑なあらすじは以下の通り。
絶妙なフィクションと史実の融合。
そしてキャラクターの魅力。
さらには複雑に絡み合った因縁。当然、江戸時代の当時も、刊行されるや否や、即ベストセラーとなりました。
まだ完結してないうちから歌舞伎になり、浄瑠璃になり、常磐津になった。これは今と変わりませんな。マンガ連載中にアニメ化されるようなもん。
主役を張った歌舞伎役者はたちまち人気役者になり、その錦絵は飛ぶように売れ、挿絵をつけた浮世絵師はたちまち人気絵師になる。この辺も今と変わんない。
人気のあまり、風呂屋の暖簾にまでなったとか。グッズ展開ですな。
歌舞伎の評判が上がると、新刊待ってらんないんで、オリジナル展開の歌舞伎が上演されたりもする。これも今で言う、いわゆる、アニメオリジナル回という奴ですな。
そして、ちょっとでも連載滞ると「さっさと続き書けや、殺すぞ、ゴラァ!」みたいな脅迫まがいのファンレターが来るなんてところも今と全然変わらない。
八犬伝ファンが房総へ聖地巡礼ツアー組んだりなんかするのも今と変わらない。
その一方で馬琴さんのほうは超大変。
何しろ長期連載。
長期も長期。なんと連載期間28年。全98巻106冊。こち亀か。
実は長期過ぎて最初と後で設定違っちゃってるとこもあったり、ちょいつじつま合わなくなったりしてるとこもある。
(八犬士はそれぞれ体のどこかに牡丹のような痣があるという設定なのだが、前半と後半で痣の場所が変わってるキャラとかいる。)
後半の執筆は馬琴さんが失明したため、息子の嫁に口述筆記させていたというから尚大変。
あげく、馬琴さんの嫁が息子の嫁に嫉妬しちゃって家庭内はそりゃもう大変。
修羅の家か。
そんな環境で連載完結した馬琴さん、ちょうえらい。
風呂敷広げっぱなしで畳めなくなった長期連載マンガとかも多いのに!(誰とか言わないよ。言わないよ。ためしに【風呂敷畳めなくなった漫画】でぐぐったらいっぱい出てきたさwww)
実在の人物が山ほど出てきて、わりと書きたい放題書かれてる感のある南総里見八犬伝ですが、全巻刊行されたところを見ると、たぶん、当時、馬琴さんのところに関係者からのクレームとかは来なかったんでしょうね。
やはり改易された一族だからでしょうか。
(実在の里見家は江戸時代初期の1614年に実質改易されています。「南総里見八犬伝」初刊の刊行は江戸時代後期の1814年。同じ江戸時代と言っても馬琴さんからすれば200年も前に滅亡した一族という認識だったでしょうね。)
ちなみに、同じように実在の人物を題材にして同じ頃に上演された「鍋島の化け猫騒動」は、すぐに舞台となった鍋島藩から苦情が来て上演中止になっています。
そんな大変さを乗り越えて完成させた「南総里見八犬伝」。
そりゃもう売れた。売れに売れた。
そして当時も売れまくった八犬伝は、1814年の刊行開始から数えてちょうど200年たつ現代に至ってもまだ根強い人気があります。
いまだに歌舞伎の定番演目でもあるし、映画にも演劇にも数え切れないほどなっているし、定期的にドラマ化されてもいる。
モチーフになったアニメなんて数知れない。
南総里見八犬伝の原作を読んだことがないという人も、ドラマとかマンガとかで見たことある人も多いと思うし、それすらも見たことがないという人でも、八犬伝をモチーフに作品はなにかしら目にしてるはず。
だって、かのドラゴンボールだって、主人公の名前のせいで三国志モチーフだと思われがちだが、7つの玉を捜して旅するって明らかに八犬伝モチーフ。
かの某やんごとなきサーヤ様がおはまりあそばされてコミケ参加あそばされたとの伝説もある、サムライトルーパーだって八犬伝がモチーフ。
おまけに、たしか何かちょうど今、まさしく八犬伝の名を冠したちょっと腐っぽいアニメがやってたはず。見てないから詳しくは知らんのでごめんなさい。
ぶっちゃけ日本の文学界を紐解いてみても、こうまで時代を超えて愛されている作品って比類ないと思うし、あらゆる意味で日本が誇る文学作品の一つだと思います。
・・・と、ここまで、八犬伝めぐりにはふれもせずに、ただひたすら南総里見八犬伝という作品そのものについて長々としつこいくらい記述してまいりました。
なにゆえこんなにもくどく書き連ねたかと言うと、とにかく南総里見八犬伝という作品の凄さ、偉大さというものを知ってもらいたかったから。
そして、それなのに、ああそれなのに、と後述していきたかったから。
この作品にはまった人は、たぶんだれもが、この作品を、里見家が治めていた館山藩の人たちは、そりゃもう誇るべき! と、思うと思う。少なくとも私はそう。・・・・だったんだけれども。
八犬伝ムッハー!みたいな気持ちで南房総に行くと、正直、地元との温度差?みたいなものにあっけに取られるというか。
ぶっちゃけ、あんまり八犬伝的には盛り上がってないんですよ。南房総。
里見八犬伝押しで観光に行っても、今ひとつ感が拭えない。
なんかね、なんかね、なんかね、こう言ったら南房総の人怒るのかもしれないけど、・・・あんまり、南房総って八犬伝、大事にしてないよね・・・?
そんなことよりお花綺麗でしょう?とか、そんなことより海綺麗でしょう? とか、なんつーか全体的にそんな感じ。
なんでだろう。八犬伝なんていまさらめんどくさいとか思ってるのかな。
八犬伝ってそもそも刊行当時の江戸時代からミーハー人気が凄まじい作品なんだけどね。
むしろミーハー人気だけで200年変わらぬ火力を保ってるという、日本文学史の上でも稀有にして偉大な作品なんだけど。
ちょっと、南房総はあんまり八犬伝大事にしてない感ありあり、については、おいおい語っていきます。
とにかくちょいちょいそう思うことが多かったので。
それでもがっつり里見を堪能してきたので、その一日を追っていきたいと思います。
前置き長し。
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
本日、娘の10歳のお誕生日。
うちの娘さん、最近、里見八犬伝にはまっていらっしゃる。
なので、お誕生日に八犬伝ゆかりの地めぐりをプレゼントすることにしました。
実は以前にも一度、八犬伝に触れたくて館山市に行ったことがあったんだけど、その時は割りと行き当たりばったりに行ったせいで、いろいろ不首尾もあったりしたので、今回は事前にばっちり下調べもしました。
ママ超頑張った!
疲れた!
でも予習のおかげで満足度高し!
しかしなんというか、言いたいことも色々あった!
主に安房地域そのものに!
もうちょっとやる気出せよ的な!
とりあえず、旅レポの前に、今回のドライブのきっかけになった「里見八犬伝」という作品の解説をさせてください。長いです。
正しくは「南総里見八犬伝」。
江戸時代後期に、曲亭馬琴(きょくていばきん)/滝沢馬琴(たきざわばきん)という人が書いた、大大大大長編読本です。
「滝沢馬琴」という筆名の方が有名だけれど、作者の正しい筆名は「曲亭馬琴」。
滝沢馬琴、なんて、馬琴さん本人が名乗ったことはただの一度もありはしません。
この結滞極まりない「滝沢馬琴」という表記は、本名の「滝沢」に筆名の「馬琴」をくっつけたものと思われるが、これは明治時代以降に滝沢馬琴名義で著作が刊行されてから流布した表記だそうです。
何故、そんな筆名をこしらえてしまったかは謎。
とはいえ、馬琴という人は、wikipedia先生で調べただけでも、武家に生まれ、幼名を「春蔵」のち「倉蔵」といい、元服後は「左七郎興邦(さしちろうおきくに)」と名乗り、その後、武士としての名を捨てて通称を「瑣吉(さきち)」、諱を「解(とく)」に改めていて、婿入りしたら「清右衛門」を名乗り、隠居したら「蓑笠漁隠(さりつぎょいん)」と称するようになり、他にも「著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)」やら「笠翁(りつおう)」やら、「篁民(こうみん)」やら、「飯台陳人(はんだいちんじん)」やら、「玄同(げんどう)」やらと山ほど号していたので、一個くらい別名が増えてもきっと気にしない。かもしれない。
が、私個人としては、本人がちゃんとつけた筆名があるのに、他人が勝手に違う名前にこしらえた、というのが、なんともお尻がもじょもじょする…はっきりぶっちゃけちゃうと胸糞悪い、ので、「曲亭馬琴」と正しい筆名を表記したいと思っています。
※「松田聖子(本名:蒲池法子)さんが松田聖子という芸名で芸能活動をしていたのに、死後20年以上たって、何故か勝手に“蒲池聖子”という名前でCDが発売された、みたいな感じ」と説明されているサイトさんがいらしたが、実に秀逸な例えかと。さて、その曲亭馬琴は、原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。と、wikipediaにあります。
つまり、死後数年を経て評価された、とかそういう系の作家ではなく、刊行当時に既に超売れっ子のベストセラー作家。
八犬伝だって刊行時のあおり文句は「あの曲亭馬琴の最新作!南総里見八犬伝!」てなもん。
その「南総里見八犬伝」のすっごく雑なあらすじは以下の通り。
- 時は室町時代後期。
- 里見パパ実が、悪い殿様1を倒してその嫁の玉梓も捕まえる。
- 玉梓「死にたくない。殺さないで」
里見パパ実「いいよー」→「やっぱ気が変わった。斬首」
玉梓「絶対許さない。里見家を超超超呪ってやる」 - それから16年後、別の悪い殿様2が攻め込んでくる。超負けそう。
- 里見パパ実「おいポチ、敵の首を取ってきたらうちの可愛いむちゅめたんを嫁にやるよー。なんちって」
→ポチ、マジで敵の首とって来た。 - 里見パパ実「何であんな約束したんだろ。可愛い可愛いむちゅめの伏姫たんを犬の嫁とかやだお」
伏姫たん「父ちゃん、そのいっぺん約束したこと後からなしにする癖直せよ。娘のあちしが落とし前つけて犬の嫁になるよ」 - 伏姫たん、ポチこと八房と富山の洞窟にこもる。
- 八房「伏姫たんhshs」
伏姫「くんな犬っころ」
八房「こうなったら気合で伏姫たん孕ませる」→懐妊 - 伏姫「犬の仔とかやだやだ嘘嘘。獣姦なんかしてない。私は処女。証拠見せる。」
→割腹くぱぁ。 - 腹の中から謎光ぴかー。
伏姫の数珠ぱーん。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字入り大玉だけ八方に飛び散る。 - 8つの玉はそれぞれ様々な経緯で8人の若者の手に。(八犬士)
- 生まれも育ちも別々な8人の若者、最初はいざこざもあったけど最後には「俺達は仲間だ!」
- そいでもってそりゃもういろんなことがあったけど、それは全部、死んだ玉梓の呪いのせいだった!
- みんなで力を合わせて、ラスボスも撃破!ラストバトルも勝利!
- 八犬士はそれぞれ里見家の姫と結婚して重臣になる。
- 月日は流れ、年老いた八犬士はみんなでお山にこもって仙人になる。
- 八犬士のいなくなった里見家は滅亡しました。めでたしめでたし。
絶妙なフィクションと史実の融合。
そしてキャラクターの魅力。
さらには複雑に絡み合った因縁。当然、江戸時代の当時も、刊行されるや否や、即ベストセラーとなりました。
まだ完結してないうちから歌舞伎になり、浄瑠璃になり、常磐津になった。これは今と変わりませんな。マンガ連載中にアニメ化されるようなもん。
主役を張った歌舞伎役者はたちまち人気役者になり、その錦絵は飛ぶように売れ、挿絵をつけた浮世絵師はたちまち人気絵師になる。この辺も今と変わんない。
人気のあまり、風呂屋の暖簾にまでなったとか。グッズ展開ですな。
歌舞伎の評判が上がると、新刊待ってらんないんで、オリジナル展開の歌舞伎が上演されたりもする。これも今で言う、いわゆる、アニメオリジナル回という奴ですな。
そして、ちょっとでも連載滞ると「さっさと続き書けや、殺すぞ、ゴラァ!」みたいな脅迫まがいのファンレターが来るなんてところも今と全然変わらない。
八犬伝ファンが房総へ聖地巡礼ツアー組んだりなんかするのも今と変わらない。
その一方で馬琴さんのほうは超大変。
何しろ長期連載。
長期も長期。なんと連載期間28年。全98巻106冊。こち亀か。
実は長期過ぎて最初と後で設定違っちゃってるとこもあったり、ちょいつじつま合わなくなったりしてるとこもある。
(八犬士はそれぞれ体のどこかに牡丹のような痣があるという設定なのだが、前半と後半で痣の場所が変わってるキャラとかいる。)
後半の執筆は馬琴さんが失明したため、息子の嫁に口述筆記させていたというから尚大変。
あげく、馬琴さんの嫁が息子の嫁に嫉妬しちゃって家庭内はそりゃもう大変。
修羅の家か。
そんな環境で連載完結した馬琴さん、ちょうえらい。
風呂敷広げっぱなしで畳めなくなった長期連載マンガとかも多いのに!(誰とか言わないよ。言わないよ。ためしに【風呂敷畳めなくなった漫画】でぐぐったらいっぱい出てきたさwww)
実在の人物が山ほど出てきて、わりと書きたい放題書かれてる感のある南総里見八犬伝ですが、全巻刊行されたところを見ると、たぶん、当時、馬琴さんのところに関係者からのクレームとかは来なかったんでしょうね。
やはり改易された一族だからでしょうか。
(実在の里見家は江戸時代初期の1614年に実質改易されています。「南総里見八犬伝」初刊の刊行は江戸時代後期の1814年。同じ江戸時代と言っても馬琴さんからすれば200年も前に滅亡した一族という認識だったでしょうね。)
ちなみに、同じように実在の人物を題材にして同じ頃に上演された「鍋島の化け猫騒動」は、すぐに舞台となった鍋島藩から苦情が来て上演中止になっています。
そんな大変さを乗り越えて完成させた「南総里見八犬伝」。
そりゃもう売れた。売れに売れた。
そして当時も売れまくった八犬伝は、1814年の刊行開始から数えてちょうど200年たつ現代に至ってもまだ根強い人気があります。
いまだに歌舞伎の定番演目でもあるし、映画にも演劇にも数え切れないほどなっているし、定期的にドラマ化されてもいる。
モチーフになったアニメなんて数知れない。
南総里見八犬伝の原作を読んだことがないという人も、ドラマとかマンガとかで見たことある人も多いと思うし、それすらも見たことがないという人でも、八犬伝をモチーフに作品はなにかしら目にしてるはず。
だって、かのドラゴンボールだって、主人公の名前のせいで三国志モチーフだと思われがちだが、7つの玉を捜して旅するって明らかに八犬伝モチーフ。
かの某やんごとなきサーヤ様がおはまりあそばされてコミケ参加あそばされたとの伝説もある、サムライトルーパーだって八犬伝がモチーフ。
おまけに、たしか何かちょうど今、まさしく八犬伝の名を冠したちょっと腐っぽいアニメがやってたはず。見てないから詳しくは知らんのでごめんなさい。
ぶっちゃけ日本の文学界を紐解いてみても、こうまで時代を超えて愛されている作品って比類ないと思うし、あらゆる意味で日本が誇る文学作品の一つだと思います。
・・・と、ここまで、八犬伝めぐりにはふれもせずに、ただひたすら南総里見八犬伝という作品そのものについて長々としつこいくらい記述してまいりました。
なにゆえこんなにもくどく書き連ねたかと言うと、とにかく南総里見八犬伝という作品の凄さ、偉大さというものを知ってもらいたかったから。
そして、それなのに、ああそれなのに、と後述していきたかったから。
この作品にはまった人は、たぶんだれもが、この作品を、里見家が治めていた館山藩の人たちは、そりゃもう誇るべき! と、思うと思う。少なくとも私はそう。・・・・だったんだけれども。
八犬伝ムッハー!みたいな気持ちで南房総に行くと、正直、地元との温度差?みたいなものにあっけに取られるというか。
ぶっちゃけ、あんまり八犬伝的には盛り上がってないんですよ。南房総。
里見八犬伝押しで観光に行っても、今ひとつ感が拭えない。
なんかね、なんかね、なんかね、こう言ったら南房総の人怒るのかもしれないけど、・・・あんまり、南房総って八犬伝、大事にしてないよね・・・?
そんなことよりお花綺麗でしょう?とか、そんなことより海綺麗でしょう? とか、なんつーか全体的にそんな感じ。
なんでだろう。八犬伝なんていまさらめんどくさいとか思ってるのかな。
八犬伝ってそもそも刊行当時の江戸時代からミーハー人気が凄まじい作品なんだけどね。
むしろミーハー人気だけで200年変わらぬ火力を保ってるという、日本文学史の上でも稀有にして偉大な作品なんだけど。
ちょっと、南房総はあんまり八犬伝大事にしてない感ありあり、については、おいおい語っていきます。
とにかくちょいちょいそう思うことが多かったので。
それでもがっつり里見を堪能してきたので、その一日を追っていきたいと思います。
前置き長し。
PR
この記事にコメントする