腐女子に付き、予告なくナチュラルにホモ語り入ります。閲覧の際はお覚悟ください。
いろいろあって、今年から田が増えた。
ので、「すまんがさすがに一人ではやりきれないので今年から田を手伝ってはくれまいか」と旦那に言われた。
そんなら不慣れな私ではなく、おかーさんに手伝ってもらったらどうか、と言ったら、「お袋に手伝ってもらうと必ず親父がしゃしゃり出てくる。のみならず親父の弟達も出てくる。それは避けたい」との答え。
ふむ。ならば仕方ないか。と、玉撫子さん、今年からついに農家デビューです。
田植えっ 田植えっ
・・・といってもまぁ、田植え機が運転できるわけではないので、苗箱を運んだりとか肥料を運んだりとか、そういうお手伝い的なもんだけどね。
田植えを手伝うにあたって、旦那から昨日言われたこと。
「いいか。明日から田植えするけど、絶対に親父には言うな。親父に伝わるからおふくろにも言うな。」
秘密の田植え。・・・って、すぐばれると思うが(^^;
ので、「すまんがさすがに一人ではやりきれないので今年から田を手伝ってはくれまいか」と旦那に言われた。
そんなら不慣れな私ではなく、おかーさんに手伝ってもらったらどうか、と言ったら、「お袋に手伝ってもらうと必ず親父がしゃしゃり出てくる。のみならず親父の弟達も出てくる。それは避けたい」との答え。
ふむ。ならば仕方ないか。と、玉撫子さん、今年からついに農家デビューです。
田植えっ 田植えっ
・・・といってもまぁ、田植え機が運転できるわけではないので、苗箱を運んだりとか肥料を運んだりとか、そういうお手伝い的なもんだけどね。
田植えを手伝うにあたって、旦那から昨日言われたこと。
「いいか。明日から田植えするけど、絶対に親父には言うな。親父に伝わるからおふくろにも言うな。」
秘密の田植え。・・・って、すぐばれると思うが(^^;
早いもので、息子が小学校を卒業しました。
うん…なんか、毎日、遊戯王だとかボカロだとか太鼓の達人だとかで遊んでるんだけど、
大丈夫なのかな、こんなんで中学生になって…。
うん…なんか、毎日、遊戯王だとかボカロだとか太鼓の達人だとかで遊んでるんだけど、
大丈夫なのかな、こんなんで中学生になって…。
ムーミン谷、今夏出現
仙台市「七北田公園」に滑り台など17台
被災地復興支援へフィンランド政府寄贈
仙台市泉区の七北田公園に今夏、「ムーミン谷」ができる。
フィンランドから贈られたムーミンのキャラクターがデザインされたブランコや滑り台、シーソーを園内に設置する。スポーツ施設が充実している公園に、新たに童話の世界の魅力が加わる。
置かれる遊具は、フィンランドの企業が製造したブランコや滑り台、シーソーなど計17台。ムーミン一家やスナフキンなど、おなじみのキャラクターが描かれている。
健康福祉分野を中心に仙台市と交流を続けるフィンランド政府のアレクサンデル・ストゥブ欧州・貿易相が2011年11月、東日本大震災の被災地視察で仙台市を訪れた際、「子供たちを元気づけたい」と寄贈を申し出た。
市は、候補地の選定を進め、敷地に比較的余裕があった七北田公園を選んだ。「わんぱく大地」周辺の約1ヘクタールに、既存の樹木を生かした形で遊具を配置する。夏休み前の完成を目指し、13年度当初予算案に計上した。
遊具を設けた一帯に愛称を付けることや、泉図書館の子供図書室など近隣施設と連携したイベント開催も検討している。
市経済局は「ムーミンの遊具は、フィンランドと仙台の交流が深まった証し。友情と厚意を忘れず、1人でも多くの子供たちが笑顔で遊んでほしい。」と話している。
河北新報(2013年2月26日)
仙台市「七北田公園」に滑り台など17台
被災地復興支援へフィンランド政府寄贈
仙台市泉区の七北田公園に今夏、「ムーミン谷」ができる。
フィンランドから贈られたムーミンのキャラクターがデザインされたブランコや滑り台、シーソーを園内に設置する。スポーツ施設が充実している公園に、新たに童話の世界の魅力が加わる。
置かれる遊具は、フィンランドの企業が製造したブランコや滑り台、シーソーなど計17台。ムーミン一家やスナフキンなど、おなじみのキャラクターが描かれている。
健康福祉分野を中心に仙台市と交流を続けるフィンランド政府のアレクサンデル・ストゥブ欧州・貿易相が2011年11月、東日本大震災の被災地視察で仙台市を訪れた際、「子供たちを元気づけたい」と寄贈を申し出た。
市は、候補地の選定を進め、敷地に比較的余裕があった七北田公園を選んだ。「わんぱく大地」周辺の約1ヘクタールに、既存の樹木を生かした形で遊具を配置する。夏休み前の完成を目指し、13年度当初予算案に計上した。
遊具を設けた一帯に愛称を付けることや、泉図書館の子供図書室など近隣施設と連携したイベント開催も検討している。
市経済局は「ムーミンの遊具は、フィンランドと仙台の交流が深まった証し。友情と厚意を忘れず、1人でも多くの子供たちが笑顔で遊んでほしい。」と話している。
河北新報(2013年2月26日)
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
PM.16:12
八遺臣の墓を降りて、完全に館山城の山の裏側に出てしまった我々は、
山裾をぐるっと回って駐車場に戻りました。
すっげー歩いた。
さすがの子供達も体力限界っぽいです。
でも、駐車場の横にある軽食&おみやげやさん「里見茶屋」をまだ見てなかったので、娘と一緒に行くことに。
息子と旦那は車に乗ったきり動こうとしない。お疲れ。
でも女子はお土産屋さんが大好きなものなのよ!
・・・と、期待に胸膨らませていったんですが、
あーうー(涙)
またもがっかりポイント。
買いたいと思えるものが何一つないー・・・!
あー・・・ここもかー・・・ここもなのかー・・・
なんなのもう南房総ー・・・
どこもかしこもキュピーン!とくるおみやげがないよー・・・
なんか渋い和手ぬぐいはある・・・。渋すぎる・・・もちょっとかわいい八犬伝ハンドタオルみたいなんはないの?
キティちゃん伏姫でいいからミニタオル置こうよ・・・
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉・・・。でけぇよ、高ぇよ・・・。一個3000円て。8個そろえたら大枚だよ・・・。
もちょっとこう、こういう、壊れ物系のがっつり本気の感じのじゃなくて、もう少し手の出しやすい・・・8個セットでおまとめ買いのしやすい・・・
あーあー、あの、あれあれあれ、ほら!ドラゴンボールのスーパーボールあるじゃん!四星球とかのやつ!あれの八犬伝バージョン作ろうよ!
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の字のついた8個のでかめのスーパーボールガチャポンにしてさー、一回200円とかでさー、里見茶屋に置こうよ!
それとかさ、数珠!仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の数珠!
あのー、そんな思いっきりお値段本気の奴じゃなくてさ、いやもちろん、本気のもあったっていいけども、八犬伝ファンって子供も多いよ?ほら、アニメとかで入る子も多
いしさ。
そういう子向けの、ややちゃちい、手の出しやすいお値段の、数珠ってより、ブレスレット的な趣の強い奴!
携帯ストラップ・・・ああああ、惜しいぃぃぃー
すげぇ可愛いキャラクター展開してるー何これー伏姫たん可愛いーーやればできるじゃん、こういうのを求めてたのよーーでも惜しいいいいいいなんか惜しいぃぃぃー
キャラクターは文句なく可愛いのに、ストラップのデザインが悪い!悪すぎる!
えっと、これもしかしてあれなのか、ストラップと銘打ってはいるが、基本、携帯電話につける事を想定されてないのか?
八種類あって、それぞれの玉に伏姫たんがついてるんだけど、なんての、あのー、金属の板に伏姫たんのイラストが付いてる奴なのね。
これ、このままつけたら、携帯に傷つくんじゃね?
しかも高い!
一個1000円て!
ああ…半額義援金にするのねー…あー…。え、それなら定価を500円にしてもらって、募金箱に500円入れたいな。なんか、なんか、どうなの、これ。いやいいんだけど。
そんでさ、そんでさ、これ、八種類あるけど、八種類買っても何も面白みがないよね?
八つ繋げられるとか、付け替えが出来るとか、そういうのない。
八つ買って携帯につけたら八人の伏姫たんがジャラジャラするだけ!
あああああ、もおおおおおーーー
コレジャナイ感はんぱないーーー
あのさあのさ、八犬士でさ、8でさ、玉が8個っていうわざわざおいしい設定があってさ、
んでさ、人間っつうのはさ、大概の場合、収集ということに本能をかきたてられるものでさ、
ドラゴンボールだって集めるものなわけでさ、
八犬伝の玉も集めたいじゃない、8個。
8個集めて達成感を持ちたいじゃない。
そういう、なんての、収集欲?みたいなものをかきたてられるものが、ここにはなーーーーーーーんもない。
伏姫たんストラップも8個集めてもなーんにも面白くない。
これならいっそ、大き目のプラスティックの玉8個に「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」入れて、ストラップ紐通しただけのものを売られたほうが全然嬉しい。
それを8個買ったほうが、集めたーーー!っていう達成感がある気がする。
残念。ほんと残念。
伏姫たんもったいない…可愛いのに…すごく可愛いのに…。
この伏姫たんの可愛さはぜひこのままにしておくとして、この酷いデザインだけ何とかならんものか・・・
つか、このイラストはストラップ向きじゃないんじゃない?
ハンカチとかの方がよくない?
それか、お守り袋にするとか、プラスティックタンブラーの中の絵にするとか、クリアファイルにするとか、絵葉書にするとか、ミニカレンダーにするとか、
缶バッジにするとか、ご当地ペットボトルにラッピングするとか、伏姫たん饅頭作ってしまうとか、
ストラップにこだわるんなら、せめて金属板じゃなくて塩ビのプレートにするとか、ラバーストラップにするとか、携帯クリーナーにするとか。
リボンタイプ?のビニールストラップにして、玉を後付でつけられるようにするとか、
あとは、伏姫だけじゃなく、八犬士全員デザインしてしまって、伏姫と八房合わせて全10種類にしてコンプリートするとか。
なんかもうもったいないよーーーーーー!!!
こんなにこんなに素材はあるのにあるのに、なんかもうもったいない。そう!モッタイナイ!!
南房総~館山ときて、とにかくとにかく常に思ったのは、「モッタイナイ」!!!
伏姫籠穴にしろ、犬掛にしろ、滝田城にしろ、館山城にしろ、道の駅にしろ、みんなみんなモッタイナイ!!
あとほんのちょっと、ほんのちょっとの工夫ですごくいろいろもっともっといいものになるはずなのに、それがなされてない!
もったいないんだよ!
こんなにこんなにいい素材を持っているのに!!
日本文学史上における大傑作だというのに、何故か安房の国の人たちは「南総里見八犬伝」というこの作品に対して、ぜんっぜん畏敬の念がない!
とにかくそれを強く強く感じるんだ。全体的に。
・・・・・・・・・あんまり言いたくないけど、館山城の人や里見茶屋の人も八犬伝読んでないっぽいとんちんかんな受け答えする人いたよ。
里見家という大名に対してもあんまりリスペクトないよね。
おらが殿様って地元でもっと愛されてるイメージだったから、安房の里見家に対する関心の薄さは冷淡にすら見えた。
改易された大名だからかなと思ったんだけど、山形に行ったときは、最上家に対する山形市民の愛みたいなのは、もう、びんびん伝わってきたよ。
最上家も改易されてる上に、伊達政宗人気のあおりを食らって風評被害受けまくりの大名なんだけども。
なんかね、色々調べてたら、転封された鳥取県の方が、里見リスペクトな感じがシテシマッタヨ。
今回、二度目の南房総観光だったんだけども、予習のおかげもあって、がっつり八犬伝堪能しました。堪能した分だけ、がっかりポイントに辛口になってしまった。
でも、どれもこれも、南総里見八犬伝という作品をただひたすらに愛してやまないからなんだー!!!
そんでもって、もっともっとみんなにこの作品が愛されて欲しいんだーーーー
南房総のみならず、千葉県が、いや日本が、全世界に向けて誇れる作品だと思うんだよ。
今年、館山に来たら、里見10代を大河ドラマにしよう!というキャンペーンをあっちこっちで見た。
これを機会に、南房総が里見氏と、あと、里見八犬伝を、もっともっと外部に向けてアピールしていって欲しいな、と思う。
つかそもそも、里見家の歴史小説ってないからね。出して欲しいよね。
あと、wikipediaなんかの歴史認識と、市のそれとに齟齬があるので、そこんとことか、一番新しい学説ではどうなってるのかとか、知りたいよね。
そんなわけで、今回の八犬伝めぐり旅は館山城で締めとなりました。
子供達は帰路熟睡でございました。
お疲れ様です。
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋 ←今ここ
PM.16:12
八遺臣の墓を降りて、完全に館山城の山の裏側に出てしまった我々は、
山裾をぐるっと回って駐車場に戻りました。
すっげー歩いた。
さすがの子供達も体力限界っぽいです。
でも、駐車場の横にある軽食&おみやげやさん「里見茶屋」をまだ見てなかったので、娘と一緒に行くことに。
息子と旦那は車に乗ったきり動こうとしない。お疲れ。
でも女子はお土産屋さんが大好きなものなのよ!
・・・と、期待に胸膨らませていったんですが、
あーうー(涙)
またもがっかりポイント。
買いたいと思えるものが何一つないー・・・!
あー・・・ここもかー・・・ここもなのかー・・・
なんなのもう南房総ー・・・
どこもかしこもキュピーン!とくるおみやげがないよー・・・
なんか渋い和手ぬぐいはある・・・。渋すぎる・・・もちょっとかわいい八犬伝ハンドタオルみたいなんはないの?
キティちゃん伏姫でいいからミニタオル置こうよ・・・
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉・・・。でけぇよ、高ぇよ・・・。一個3000円て。8個そろえたら大枚だよ・・・。
もちょっとこう、こういう、壊れ物系のがっつり本気の感じのじゃなくて、もう少し手の出しやすい・・・8個セットでおまとめ買いのしやすい・・・
あーあー、あの、あれあれあれ、ほら!ドラゴンボールのスーパーボールあるじゃん!四星球とかのやつ!あれの八犬伝バージョン作ろうよ!
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の字のついた8個のでかめのスーパーボールガチャポンにしてさー、一回200円とかでさー、里見茶屋に置こうよ!
それとかさ、数珠!仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の数珠!
あのー、そんな思いっきりお値段本気の奴じゃなくてさ、いやもちろん、本気のもあったっていいけども、八犬伝ファンって子供も多いよ?ほら、アニメとかで入る子も多
いしさ。
そういう子向けの、ややちゃちい、手の出しやすいお値段の、数珠ってより、ブレスレット的な趣の強い奴!
携帯ストラップ・・・ああああ、惜しいぃぃぃー
すげぇ可愛いキャラクター展開してるー何これー伏姫たん可愛いーーやればできるじゃん、こういうのを求めてたのよーーでも惜しいいいいいいなんか惜しいぃぃぃー
キャラクターは文句なく可愛いのに、ストラップのデザインが悪い!悪すぎる!
えっと、これもしかしてあれなのか、ストラップと銘打ってはいるが、基本、携帯電話につける事を想定されてないのか?
八種類あって、それぞれの玉に伏姫たんがついてるんだけど、なんての、あのー、金属の板に伏姫たんのイラストが付いてる奴なのね。
これ、このままつけたら、携帯に傷つくんじゃね?
しかも高い!
一個1000円て!
ああ…半額義援金にするのねー…あー…。え、それなら定価を500円にしてもらって、募金箱に500円入れたいな。なんか、なんか、どうなの、これ。いやいいんだけど。
そんでさ、そんでさ、これ、八種類あるけど、八種類買っても何も面白みがないよね?
八つ繋げられるとか、付け替えが出来るとか、そういうのない。
八つ買って携帯につけたら八人の伏姫たんがジャラジャラするだけ!
あああああ、もおおおおおーーー
コレジャナイ感はんぱないーーー
あのさあのさ、八犬士でさ、8でさ、玉が8個っていうわざわざおいしい設定があってさ、
んでさ、人間っつうのはさ、大概の場合、収集ということに本能をかきたてられるものでさ、
ドラゴンボールだって集めるものなわけでさ、
八犬伝の玉も集めたいじゃない、8個。
8個集めて達成感を持ちたいじゃない。
そういう、なんての、収集欲?みたいなものをかきたてられるものが、ここにはなーーーーーーーんもない。
伏姫たんストラップも8個集めてもなーんにも面白くない。
これならいっそ、大き目のプラスティックの玉8個に「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」入れて、ストラップ紐通しただけのものを売られたほうが全然嬉しい。
それを8個買ったほうが、集めたーーー!っていう達成感がある気がする。
残念。ほんと残念。
伏姫たんもったいない…可愛いのに…すごく可愛いのに…。
この伏姫たんの可愛さはぜひこのままにしておくとして、この酷いデザインだけ何とかならんものか・・・
つか、このイラストはストラップ向きじゃないんじゃない?
ハンカチとかの方がよくない?
それか、お守り袋にするとか、プラスティックタンブラーの中の絵にするとか、クリアファイルにするとか、絵葉書にするとか、ミニカレンダーにするとか、
缶バッジにするとか、ご当地ペットボトルにラッピングするとか、伏姫たん饅頭作ってしまうとか、
ストラップにこだわるんなら、せめて金属板じゃなくて塩ビのプレートにするとか、ラバーストラップにするとか、携帯クリーナーにするとか。
リボンタイプ?のビニールストラップにして、玉を後付でつけられるようにするとか、
あとは、伏姫だけじゃなく、八犬士全員デザインしてしまって、伏姫と八房合わせて全10種類にしてコンプリートするとか。
なんかもうもったいないよーーーーーー!!!
こんなにこんなに素材はあるのにあるのに、なんかもうもったいない。そう!モッタイナイ!!
南房総~館山ときて、とにかくとにかく常に思ったのは、「モッタイナイ」!!!
伏姫籠穴にしろ、犬掛にしろ、滝田城にしろ、館山城にしろ、道の駅にしろ、みんなみんなモッタイナイ!!
あとほんのちょっと、ほんのちょっとの工夫ですごくいろいろもっともっといいものになるはずなのに、それがなされてない!
もったいないんだよ!
こんなにこんなにいい素材を持っているのに!!
日本文学史上における大傑作だというのに、何故か安房の国の人たちは「南総里見八犬伝」というこの作品に対して、ぜんっぜん畏敬の念がない!
とにかくそれを強く強く感じるんだ。全体的に。
・・・・・・・・・あんまり言いたくないけど、館山城の人や里見茶屋の人も八犬伝読んでないっぽいとんちんかんな受け答えする人いたよ。
里見家という大名に対してもあんまりリスペクトないよね。
おらが殿様って地元でもっと愛されてるイメージだったから、安房の里見家に対する関心の薄さは冷淡にすら見えた。
改易された大名だからかなと思ったんだけど、山形に行ったときは、最上家に対する山形市民の愛みたいなのは、もう、びんびん伝わってきたよ。
最上家も改易されてる上に、伊達政宗人気のあおりを食らって風評被害受けまくりの大名なんだけども。
なんかね、色々調べてたら、転封された鳥取県の方が、里見リスペクトな感じがシテシマッタヨ。
今回、二度目の南房総観光だったんだけども、予習のおかげもあって、がっつり八犬伝堪能しました。堪能した分だけ、がっかりポイントに辛口になってしまった。
でも、どれもこれも、南総里見八犬伝という作品をただひたすらに愛してやまないからなんだー!!!
そんでもって、もっともっとみんなにこの作品が愛されて欲しいんだーーーー
南房総のみならず、千葉県が、いや日本が、全世界に向けて誇れる作品だと思うんだよ。
今年、館山に来たら、里見10代を大河ドラマにしよう!というキャンペーンをあっちこっちで見た。
これを機会に、南房総が里見氏と、あと、里見八犬伝を、もっともっと外部に向けてアピールしていって欲しいな、と思う。
つかそもそも、里見家の歴史小説ってないからね。出して欲しいよね。
あと、wikipediaなんかの歴史認識と、市のそれとに齟齬があるので、そこんとことか、一番新しい学説ではどうなってるのかとか、知りたいよね。
そんなわけで、今回の八犬伝めぐり旅は館山城で締めとなりました。
子供達は帰路熟睡でございました。
お疲れ様です。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
PM15:47
前回後半の与太話はさておき、次は、館山城の南麓へ。
ここに、八犬士のモデルだといわれている八遺臣の墓がある。
里見氏は10代忠義が末代で、その後、改易され断絶しているのだが、この忠義が死去した時に8人の側近が殉死し、忠義
と共に葬られ「八賢士」と讃えられた、と伝えられている。
この「八賢士」が「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルではないかと言われている。
で、ここにその八賢士の墓があるとのことなんだが、はて。
最後の里見当主となった里見忠義という人は、実は館山市ではなく鳥取県で亡くなっている。
どういうことかと言うと、忠義の正室は江戸幕府老中の大久保忠隣の孫娘なんだけれども、この大久保忠隣という老中が
、かの有名な大久保長安事件を受けて失脚してしまうんだが、里見忠義はこれに連座して、館山藩主から伯耆倉吉藩主に
減封されてしまうのだ。
伯耆国というのが今の鳥取県。倉吉藩は倉吉市として今もある。
当時の里見忠義の所領は、館山藩の9万石に戦功の常陸鹿島3万石の計12万石。
これが、事件の連座として、まず館山藩の9万石分がまるまる没収される。
でも鹿島領3万石については関ヶ原の戦いの戦功による加増地なので安堵された。
かと思いきや、伯耆倉吉藩3万石を代替として転封される事となってしまう。
そしていざ倉吉藩についてみると、3万石どころか4千石程度の所領しかなく、転封とは名ばかりで配流同然だった。
しかも三年後には鳥取藩主池田光政によってこの4千石の所領も召し上げられてしまう。
たぶん、これで忠義は完全に心が折れたんだろう。
その五年後に29歳の若さでこの地で病没する。
忠義の遺体は倉吉で荼毘に付され、この地にある大岳院というお寺に埋葬される。
この時、8人の家臣達が殉死し、8人の戒名に「賢」の字が共通して入っていたことから、「八賢士」と呼ばれるように
なり、この八賢士の墓も、忠義と共に大岳院にある。
ってちょっと待て。
話の背景は理解したが、つじつまが合わん。
八賢士の墓は鳥取の大岳院にあるが、千葉の館山にもあるって事?
それとも慰霊碑みたいなものが建ってるのか???
と思って調べたら、ここにある墓は分骨して建てたもんなんだそう。なるほど。
案内看板に従って、登ってきたのとは逆の方角を降りていく。
ここでも子供達は疲れ知らずにさっさと歩いていき、ママは取り残される。
もう子供達に置いていかれるのは慣れっこさ。悲しくなんかないやい。
しかし、ここからがまた過酷だった。
ここで先ほどの地図を見てみましょう。
「八遺臣の墓」は地図の一番上に表記されてします。
おわかりでしょうか。
この地図の感じで既に結構な距離があるっぽいのが。
すぐ着くかと思った八遺臣の墓は、山を下っても下っても辿りつかない。くじけそう。
まだ着かない。
最後の案内看板。
この先の階段を下りるとお墓がある。
降りてみてちょっとびっくりした。
ちゃんと、ちゃんとってのもおかしいが、がっつり本気のお墓だった。
なんつか、観光スポットっぽく、碑みたいになってるだけかと思いこんでたんだけど、
戒名の書かれた8本の卒塔婆と五輪塔。周りに石祠もあって、厳かな雰囲気。
・・・っていうか、ごめんなさい。ちょっとそこだけ薄暗くてちょい怖いくらいでしたです。
館山市による説明板とかもあったけど、お墓なので撮影はしないことに。
とりあえずお参りだけする。
お墓をさらに降りると山も終わりで、唐突に民家。そして広がる住宅地。
こんな山のぎりぎりまで民家があることにびっくり。
これ、家建てる時に、遺構とか陶器の類とか、出たりしなかったのかなぁ。。。出たと思うなぁ。。。
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
PM15:47
前回後半の与太話はさておき、次は、館山城の南麓へ。
ここに、八犬士のモデルだといわれている八遺臣の墓がある。
里見氏は10代忠義が末代で、その後、改易され断絶しているのだが、この忠義が死去した時に8人の側近が殉死し、忠義
と共に葬られ「八賢士」と讃えられた、と伝えられている。
この「八賢士」が「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルではないかと言われている。
で、ここにその八賢士の墓があるとのことなんだが、はて。
最後の里見当主となった里見忠義という人は、実は館山市ではなく鳥取県で亡くなっている。
どういうことかと言うと、忠義の正室は江戸幕府老中の大久保忠隣の孫娘なんだけれども、この大久保忠隣という老中が
、かの有名な大久保長安事件を受けて失脚してしまうんだが、里見忠義はこれに連座して、館山藩主から伯耆倉吉藩主に
減封されてしまうのだ。
伯耆国というのが今の鳥取県。倉吉藩は倉吉市として今もある。
当時の里見忠義の所領は、館山藩の9万石に戦功の常陸鹿島3万石の計12万石。
これが、事件の連座として、まず館山藩の9万石分がまるまる没収される。
でも鹿島領3万石については関ヶ原の戦いの戦功による加増地なので安堵された。
かと思いきや、伯耆倉吉藩3万石を代替として転封される事となってしまう。
そしていざ倉吉藩についてみると、3万石どころか4千石程度の所領しかなく、転封とは名ばかりで配流同然だった。
しかも三年後には鳥取藩主池田光政によってこの4千石の所領も召し上げられてしまう。
たぶん、これで忠義は完全に心が折れたんだろう。
その五年後に29歳の若さでこの地で病没する。
忠義の遺体は倉吉で荼毘に付され、この地にある大岳院というお寺に埋葬される。
この時、8人の家臣達が殉死し、8人の戒名に「賢」の字が共通して入っていたことから、「八賢士」と呼ばれるように
なり、この八賢士の墓も、忠義と共に大岳院にある。
ってちょっと待て。
話の背景は理解したが、つじつまが合わん。
八賢士の墓は鳥取の大岳院にあるが、千葉の館山にもあるって事?
それとも慰霊碑みたいなものが建ってるのか???
と思って調べたら、ここにある墓は分骨して建てたもんなんだそう。なるほど。
案内看板に従って、登ってきたのとは逆の方角を降りていく。
ここでも子供達は疲れ知らずにさっさと歩いていき、ママは取り残される。
もう子供達に置いていかれるのは慣れっこさ。悲しくなんかないやい。
しかし、ここからがまた過酷だった。
ここで先ほどの地図を見てみましょう。
「八遺臣の墓」は地図の一番上に表記されてします。
おわかりでしょうか。
この地図の感じで既に結構な距離があるっぽいのが。
すぐ着くかと思った八遺臣の墓は、山を下っても下っても辿りつかない。くじけそう。
まだ着かない。
最後の案内看板。
この先の階段を下りるとお墓がある。
降りてみてちょっとびっくりした。
ちゃんと、ちゃんとってのもおかしいが、がっつり本気のお墓だった。
なんつか、観光スポットっぽく、碑みたいになってるだけかと思いこんでたんだけど、
戒名の書かれた8本の卒塔婆と五輪塔。周りに石祠もあって、厳かな雰囲気。
・・・っていうか、ごめんなさい。ちょっとそこだけ薄暗くてちょい怖いくらいでしたです。
館山市による説明板とかもあったけど、お墓なので撮影はしないことに。
とりあえずお参りだけする。
お墓をさらに降りると山も終わりで、唐突に民家。そして広がる住宅地。
こんな山のぎりぎりまで民家があることにびっくり。
これ、家建てる時に、遺構とか陶器の類とか、出たりしなかったのかなぁ。。。出たと思うなぁ。。。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
館山城の内部は、八犬伝博物館となっています。
博物館につき、写真は撮りませんでした。
なつかしの、昔NHKでやってた人形劇の八犬伝の上映とか、その人形の展示とか、当時の歌舞伎の錦絵とか、今までに刊行された様々な八犬伝だとかが展示されている。
貴重な資料から、ほほえましいものまでいろいろ展示されている。・・・んだけれども。
満足度、という意味では・・・んー・・・。いまひとつ。
なんかこう、もう一つ何かが足りない、みたいな。
あれだ、知識欲を満たすものが何にもないんだよね。
何にもは言いすぎかな。でもないの。
見て終わり、みたいな。
んーーーーーなんていえばいいのかな。あ、そうだ、初心者に優しくない。うん。これに尽きる。
館山城の八犬伝博物館は、これから八犬伝という物語に触れようという人向けではなく、既にある程度八犬伝を知っている人向けの施設なのだな。
例えば、八犬伝とか知らずに観光とか遊興とかなんでもいいけど館山に来て、たまたまお城に来てみて、で、八犬伝というものを知って、え、何これ面白そう。もっと知りたい、と思った人がいたとする。
でも、この八犬伝博物館は、そういうビジターに対して、何一つ用意していないところなのだ。
館山城の中にはたくさんの八犬伝を元にした小説やマンガや児童書が展示されている。
でもそれらは全てガラスケースの中であり、手に取って中を読むことはできない。
館山城の中に、読めるようにした学習スペースなどもない。
ここからちょっと去年の話になるんだけども、
実は、ここ館山城には、去年も訪れている。
去年の私は、恥ずかしながら南総里見八犬伝ってちゃんと知らなかったんだよね。
もちろん、子供の頃にNHKの人形劇も見てたし、時々やる八犬伝のTVドラマとかもちょいちょい見てたけども、原作をちゃんと読んだことはなかったのね。
なもんで、娘と息子にいろいろ聞かれても答えられなかったの。
なので、去年館山城に来たとき、受付の人に聞いたんだわ。
「子供でも読みやすい、八犬伝のオススメの本はありますか」ってね。
そしたら答えは、答えは「いっぱい展示してあるので参考にしてみてください。」だったのよ。
確かに展示してあったよ。うん。
でもそれらは前述したとおり、ガラスケースの向こうに、文字通り“展示”してあるので、中を見てみることはできない。
見ることができるようにしてあるものもない。
館山城の人があまりあてにならなかったので、もしかして下の本館の人ならわかるかしらと下山後に本館に行ってみたのだが、本館の人の答えは、「上の館山城が八犬伝博物館になっているのでそちらで聞いてください」だった。
いや、聞いたけどわかんないみたいだったから、こっちなら人も多いし誰かわかんないかと思って聞いたんだけども。
それに博物館なら、図書室とか学習室とかそんなんの中に揃ってたりしないのかなとちょっと期待したんだけども。
売店とかもあったから、それっぽい本とか売ってないかと思って聞いたんだけども。
というか、あのー、悪口になっちゃうのかもしんないけど、もしかして館山市博物館には学芸員はいないのかなと思った。
館山市博物館も見学したんだけど、誰も展示物の解説をしてくれる人はいなかったし、里見家について職員さんに聞いても誰も答えてくんなかったから。
史実の里見氏と創作の八犬伝との差異についてもちゃんと答えられなかったし、里見氏について書かれた読みやすい書物もわからないと言った。
めんどくさくて答えたくなかったのかもしれないけどね。閉館時間近かったし。
博物館の内容についても、本館が史実の里見氏、分館が八犬伝、と分けられていたようだったが、明確な区分がなく、館山市博物館本館は里見氏研究の第一人者的立場にはないのだな、という印象を持っただけだった。
所領の博物館が藩主について答えられないのだから、困っちゃうよね。
仙台だと(仙台を引き合いに出すのは間違ってるとは思うが)、仙台市民は子供の頃からあほほど伊達政宗について教えられるんだけれども。書物もアホほど読まされるしね。
もっこかつぎの殿様とかどうでもいいような逸話まで教えられるんだけども。
まあ、伊達政宗と里見氏とでは、出版されてる書籍の量がまず圧倒的に違うんだろうけど。
改易された大名だからなのかな。
でも、山形市なんかは、最上家も改易されてるけど、最上家大好きでけっこう薀蓄語る学芸員とか多いんだけども。
なんかね、なんだろね、地元の殿様なんだからもちっと愛してあげてもいいんじゃないかと思うのよ。
去年そんな感じの感想を持って、今年、館山市にきてみたら、
今、館山市は、里見氏を大河ドラマにしよう、みたいな運動をやっていて、町のあちこちにのぼり旗が立っていた。
それは大いにいいと思う。
大多喜町でも本多忠勝の大河ドラマ化運動やってるけど、そういうので町が活性化するのはいいと思う。
でもさーなんだよね。
なんかね、こと里見に関しては、町全体がそうしようと活気付いてるって感じじゃなくて、なんか、一部の人だけが頑張ってる感がある。
余談ながら、館山城の受付の人が、「どちらからお越しに?」と聞いてくれたので答えたんだけど、受付の人は、それが千葉県内の市だと知らなかった。そんなにマイナーな市でもなかったんだけど。
なので、その後、同様の事を聞かれたときは、「チーバくんの肩辺りから来ました」と答えるようにしている。
おしなべて、安房の人は上総・下総のことに疎いと思う。受付の人の事例だけでなく、安房の人はチーバ君の上半身に関心がない。
しかし神奈川県については割と詳しい。アクアライン経由で観光に来る人が多いせいか?
そんなわけで、私は南総里見八犬伝については、去年、帰宅してから自分で調べました。ネットで。
そして私の知りたい事を教えてくれたのは、館山市のサイトでも博物館のサイトでもなくて、八犬伝ファンの一個人の方のサイトでしたよ、と。
八犬伝って言う作品は、実に、歌舞伎になったり、舞台になったり、映画になったり、テレビドラマになったり、アニメになったり、漫画になったり、ありとあらゆるメディアに展開していて、更に、モチーフになった作品にいたっては数知れないにもかかわらず、原作に忠実に作品化されたものは実はほとんどなかったりする。
なにしろ、原作が長い!のだ。
そりゃもう長い。全98巻、106冊。
連載期間だって28年もかかってるんだから、その長さたるや相当なもんだ。
作中の時間だって、1441年あたりから1520年くらいまでが描かれていて、80年近くの年月がかかっている。
これが映画やらドラマやらの二時間やそこらですむはずがないのだ。
全て忠実に映像化しようと思ったら、それこそ大河ドラマ並みの期間が必要になると思う。つか一年でも足りないと思う。
例えば、昭和62年放映の「独眼竜政宗」という大河ドラマは、伊達政宗の68年間の生涯を、誕生から往生まで割合丁寧に描いていたと思うが、それでも最後近くはかなり駆け足だった印象があった。
原作になった山岡荘八の小説は文庫で全5巻とかだったと思うが、一年では描ききれなかったわけだ。
とすると、里見八犬伝106冊を忠実に映像化しようと思ったら何年かかるんだろう!
に…20年くらい?
そんなわけで八犬伝に興味を持ったとしても、その内容を全部読破するのは並大抵のことではなかったりする。
子供の頃にNHKの人形劇の「里見八犬伝」を見てた人なんかは、玉梓がラスボスでラストバトルで終わり、だと思ってる人も多いんじゃないだろうか。
そんな人にオススメしたいのが、碧也ぴんく作の「八犬伝」というマンガ。
実はこのマンガが、数ある里見八犬伝本の中で、一番とっつきやすく、かつ、原作に忠実。
何しろマンガだから子供にも読める。
うちの娘が毛野たんに心を奪われたのは実にこのマンガのせいwww
でも、たぶん、コミックスも文庫版も絶版になってると思うので、読んでみたいと思った方は、ぶこふとか探してみてください。
というかね、やっぱり、館山城で八犬伝に関して情報発信をしていくべきだと思うの。
初心者にもとっつきやすい本の紹介とかさ、リストとかにしてくれるとかさ。売店で本売るとかさ。市で編纂した小冊子売るとかさ。
なんかとにかくもったいない。
もったいないったらもったいない。
すごくじれったくて「もったいなーーーーーーーい!!!!」って叫びたくなる。
だってそれくらいファンを魅了してやまない作品なんだもの!
あのねー、すごく突拍子もない事を言うと、これ、PS4でアクションゲームにして、シリーズで出し続けるべきだよ。くらいの勢い。
原作に超忠実なゲーム化。フルCGで美麗な館山城を完全再現!そんでアサシンクリードみたいに、屋根まで上れて芳流閣戦を体験!
よし、UBIソフトに制作を依頼しよう!たぶん、200億くらいかかるけど! ←
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
館山城の内部は、八犬伝博物館となっています。
博物館につき、写真は撮りませんでした。
なつかしの、昔NHKでやってた人形劇の八犬伝の上映とか、その人形の展示とか、当時の歌舞伎の錦絵とか、今までに刊行された様々な八犬伝だとかが展示されている。
貴重な資料から、ほほえましいものまでいろいろ展示されている。・・・んだけれども。
満足度、という意味では・・・んー・・・。いまひとつ。
なんかこう、もう一つ何かが足りない、みたいな。
あれだ、知識欲を満たすものが何にもないんだよね。
何にもは言いすぎかな。でもないの。
見て終わり、みたいな。
んーーーーーなんていえばいいのかな。あ、そうだ、初心者に優しくない。うん。これに尽きる。
館山城の八犬伝博物館は、これから八犬伝という物語に触れようという人向けではなく、既にある程度八犬伝を知っている人向けの施設なのだな。
例えば、八犬伝とか知らずに観光とか遊興とかなんでもいいけど館山に来て、たまたまお城に来てみて、で、八犬伝というものを知って、え、何これ面白そう。もっと知りたい、と思った人がいたとする。
でも、この八犬伝博物館は、そういうビジターに対して、何一つ用意していないところなのだ。
館山城の中にはたくさんの八犬伝を元にした小説やマンガや児童書が展示されている。
でもそれらは全てガラスケースの中であり、手に取って中を読むことはできない。
館山城の中に、読めるようにした学習スペースなどもない。
ここからちょっと去年の話になるんだけども、
実は、ここ館山城には、去年も訪れている。
去年の私は、恥ずかしながら南総里見八犬伝ってちゃんと知らなかったんだよね。
もちろん、子供の頃にNHKの人形劇も見てたし、時々やる八犬伝のTVドラマとかもちょいちょい見てたけども、原作をちゃんと読んだことはなかったのね。
なもんで、娘と息子にいろいろ聞かれても答えられなかったの。
なので、去年館山城に来たとき、受付の人に聞いたんだわ。
「子供でも読みやすい、八犬伝のオススメの本はありますか」ってね。
そしたら答えは、答えは「いっぱい展示してあるので参考にしてみてください。」だったのよ。
確かに展示してあったよ。うん。
でもそれらは前述したとおり、ガラスケースの向こうに、文字通り“展示”してあるので、中を見てみることはできない。
見ることができるようにしてあるものもない。
館山城の人があまりあてにならなかったので、もしかして下の本館の人ならわかるかしらと下山後に本館に行ってみたのだが、本館の人の答えは、「上の館山城が八犬伝博物館になっているのでそちらで聞いてください」だった。
いや、聞いたけどわかんないみたいだったから、こっちなら人も多いし誰かわかんないかと思って聞いたんだけども。
それに博物館なら、図書室とか学習室とかそんなんの中に揃ってたりしないのかなとちょっと期待したんだけども。
売店とかもあったから、それっぽい本とか売ってないかと思って聞いたんだけども。
というか、あのー、悪口になっちゃうのかもしんないけど、もしかして館山市博物館には学芸員はいないのかなと思った。
館山市博物館も見学したんだけど、誰も展示物の解説をしてくれる人はいなかったし、里見家について職員さんに聞いても誰も答えてくんなかったから。
史実の里見氏と創作の八犬伝との差異についてもちゃんと答えられなかったし、里見氏について書かれた読みやすい書物もわからないと言った。
めんどくさくて答えたくなかったのかもしれないけどね。閉館時間近かったし。
博物館の内容についても、本館が史実の里見氏、分館が八犬伝、と分けられていたようだったが、明確な区分がなく、館山市博物館本館は里見氏研究の第一人者的立場にはないのだな、という印象を持っただけだった。
所領の博物館が藩主について答えられないのだから、困っちゃうよね。
仙台だと(仙台を引き合いに出すのは間違ってるとは思うが)、仙台市民は子供の頃からあほほど伊達政宗について教えられるんだけれども。書物もアホほど読まされるしね。
もっこかつぎの殿様とかどうでもいいような逸話まで教えられるんだけども。
まあ、伊達政宗と里見氏とでは、出版されてる書籍の量がまず圧倒的に違うんだろうけど。
改易された大名だからなのかな。
でも、山形市なんかは、最上家も改易されてるけど、最上家大好きでけっこう薀蓄語る学芸員とか多いんだけども。
なんかね、なんだろね、地元の殿様なんだからもちっと愛してあげてもいいんじゃないかと思うのよ。
去年そんな感じの感想を持って、今年、館山市にきてみたら、
今、館山市は、里見氏を大河ドラマにしよう、みたいな運動をやっていて、町のあちこちにのぼり旗が立っていた。
それは大いにいいと思う。
大多喜町でも本多忠勝の大河ドラマ化運動やってるけど、そういうので町が活性化するのはいいと思う。
でもさーなんだよね。
なんかね、こと里見に関しては、町全体がそうしようと活気付いてるって感じじゃなくて、なんか、一部の人だけが頑張ってる感がある。
余談ながら、館山城の受付の人が、「どちらからお越しに?」と聞いてくれたので答えたんだけど、受付の人は、それが千葉県内の市だと知らなかった。そんなにマイナーな市でもなかったんだけど。
なので、その後、同様の事を聞かれたときは、「チーバくんの肩辺りから来ました」と答えるようにしている。
おしなべて、安房の人は上総・下総のことに疎いと思う。受付の人の事例だけでなく、安房の人はチーバ君の上半身に関心がない。
しかし神奈川県については割と詳しい。アクアライン経由で観光に来る人が多いせいか?
そんなわけで、私は南総里見八犬伝については、去年、帰宅してから自分で調べました。ネットで。
そして私の知りたい事を教えてくれたのは、館山市のサイトでも博物館のサイトでもなくて、八犬伝ファンの一個人の方のサイトでしたよ、と。
八犬伝って言う作品は、実に、歌舞伎になったり、舞台になったり、映画になったり、テレビドラマになったり、アニメになったり、漫画になったり、ありとあらゆるメディアに展開していて、更に、モチーフになった作品にいたっては数知れないにもかかわらず、原作に忠実に作品化されたものは実はほとんどなかったりする。
なにしろ、原作が長い!のだ。
そりゃもう長い。全98巻、106冊。
連載期間だって28年もかかってるんだから、その長さたるや相当なもんだ。
作中の時間だって、1441年あたりから1520年くらいまでが描かれていて、80年近くの年月がかかっている。
これが映画やらドラマやらの二時間やそこらですむはずがないのだ。
全て忠実に映像化しようと思ったら、それこそ大河ドラマ並みの期間が必要になると思う。つか一年でも足りないと思う。
例えば、昭和62年放映の「独眼竜政宗」という大河ドラマは、伊達政宗の68年間の生涯を、誕生から往生まで割合丁寧に描いていたと思うが、それでも最後近くはかなり駆け足だった印象があった。
原作になった山岡荘八の小説は文庫で全5巻とかだったと思うが、一年では描ききれなかったわけだ。
とすると、里見八犬伝106冊を忠実に映像化しようと思ったら何年かかるんだろう!
に…20年くらい?
そんなわけで八犬伝に興味を持ったとしても、その内容を全部読破するのは並大抵のことではなかったりする。
子供の頃にNHKの人形劇の「里見八犬伝」を見てた人なんかは、玉梓がラスボスでラストバトルで終わり、だと思ってる人も多いんじゃないだろうか。
そんな人にオススメしたいのが、碧也ぴんく作の「八犬伝」というマンガ。
実はこのマンガが、数ある里見八犬伝本の中で、一番とっつきやすく、かつ、原作に忠実。
何しろマンガだから子供にも読める。
うちの娘が毛野たんに心を奪われたのは実にこのマンガのせいwww
でも、たぶん、コミックスも文庫版も絶版になってると思うので、読んでみたいと思った方は、ぶこふとか探してみてください。
というかね、やっぱり、館山城で八犬伝に関して情報発信をしていくべきだと思うの。
初心者にもとっつきやすい本の紹介とかさ、リストとかにしてくれるとかさ。売店で本売るとかさ。市で編纂した小冊子売るとかさ。
なんかとにかくもったいない。
もったいないったらもったいない。
すごくじれったくて「もったいなーーーーーーーい!!!!」って叫びたくなる。
だってそれくらいファンを魅了してやまない作品なんだもの!
あのねー、すごく突拍子もない事を言うと、これ、PS4でアクションゲームにして、シリーズで出し続けるべきだよ。くらいの勢い。
原作に超忠実なゲーム化。フルCGで美麗な館山城を完全再現!そんでアサシンクリードみたいに、屋根まで上れて芳流閣戦を体験!
よし、UBIソフトに制作を依頼しよう!たぶん、200億くらいかかるけど! ←
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
PM 15:00 館山城
八犬伝めぐりのラストはやっぱり館山城。
もうすっかり夕方になり、息子は帰りたいとごねはじめています。
ええい、今日は娘の誕生日だ。耐えるがよい、息子よ。
さてこの館山城。
カーナビで検索しても出ないので、携帯でぐぐると「館山市立博物館」の分館なんだよと出てくる。
なのでカーナビにうっかり「館山市立博物館」と入れてしまうと大変です。
↑を参照してもらいたいのだけれど、うっかりカーナビに、目的地・博物館、としてしまうと、このマップ右端の本館の傍に連れて行かれます。
4台くらいしか停まれない駐車場があって、だいたい満車。困ったわね。
実は、このマップ左側の「現在地」とあるところのすぐ下のが正しい目的地。
ここに大駐車場があります。
以前行ったときはこの事を知らなくて、博物館の駐車場に止めようとしてしまい、色々と難儀しました。
たぶんねたぶんね、私達みたいな馬鹿は他にもいっぱいいると思うから(いないかなぁ)、博物館の駐車場の前あたりに「←大駐車場あっち」みたいな案内板があるといいなぁ。
あとね、カーナビは意外と大通りを指示しなくて、裏道みたいなとこを走らせるので、大通りから道案内があると非常に親切です。。。。。
要求しすぎかなぁ。。。。
まぁ、こんなとこで吐き出すくらいいいよね。。。。。。
さてさて、大駐車場に車を置いたら、マップの - - - - - に従って館山城まで歩きます。
お城とはすべからく山の上。つまり待たしても山登り。
綺麗に舗装されてるとはいえ、お城まで長い登り坂。
もはや死にそうでっすぅー。
今度は旦那様すらも私を待ってくれません。孤独。
へろへろになりながら坂道を登る。
とどめに階段。
これをあがってやっと館山城。
このお城は犬山城を模して再建された模擬天守なので、本当のお城がどんな造りだったのかは全く不明。
建築されたのが1580年(天正8年)、廃城となって破却されたのが1614年(慶長19年)と34年間しか存在してなかったせいか、記録にも残ってないようです。
この模擬天守、外見はいいのですが、中が博物館を兼ねているせいもあって、非常に無骨な鉄筋コンクリート丸出しの造りとなっていて、お城マニアには大変不評な一品となっておりますが、紺碧の空に映える白壁の城は素直に美しいです。
最も、外側が美しい分、内装の無神経さは落差が激しいです。
もちっとなんとかならなかったのか。
右手には浅間神社。
ちゃんとお参りしなかったのですが、拝殿の欄間の彫刻は波の伊八の作だとかどこかで見たような見なかったような、ぐぐっても出ない。今度行くことがあったらちゃんと見たいです。
「里見城址の碑」
館山城址でなく里見城址。愛を感じます。
里見桜の由来の看板。
桜の季節にはまだ早かったのですが、梅が綺麗でした。
館山城から見た富士山。
写真ではほとんどわかりませんが、この真ん中辺に富士山が。
肉眼ではとても綺麗に見えたのにくやしいのうくやしいのうぅぅぅぅぅぅ
富山よりも館山の方が梅が満開でした。
水仙も満開。
いやぁ春だねぇ~なんつってたこのとき、九十九里では何と雪が降っていたそうな…
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
PM 15:00 館山城
八犬伝めぐりのラストはやっぱり館山城。
もうすっかり夕方になり、息子は帰りたいとごねはじめています。
ええい、今日は娘の誕生日だ。耐えるがよい、息子よ。
さてこの館山城。
カーナビで検索しても出ないので、携帯でぐぐると「館山市立博物館」の分館なんだよと出てくる。
なのでカーナビにうっかり「館山市立博物館」と入れてしまうと大変です。
↑を参照してもらいたいのだけれど、うっかりカーナビに、目的地・博物館、としてしまうと、このマップ右端の本館の傍に連れて行かれます。
4台くらいしか停まれない駐車場があって、だいたい満車。困ったわね。
実は、このマップ左側の「現在地」とあるところのすぐ下のが正しい目的地。
ここに大駐車場があります。
以前行ったときはこの事を知らなくて、博物館の駐車場に止めようとしてしまい、色々と難儀しました。
たぶんねたぶんね、私達みたいな馬鹿は他にもいっぱいいると思うから(いないかなぁ)、博物館の駐車場の前あたりに「←大駐車場あっち」みたいな案内板があるといいなぁ。
あとね、カーナビは意外と大通りを指示しなくて、裏道みたいなとこを走らせるので、大通りから道案内があると非常に親切です。。。。。
要求しすぎかなぁ。。。。
まぁ、こんなとこで吐き出すくらいいいよね。。。。。。
さてさて、大駐車場に車を置いたら、マップの - - - - - に従って館山城まで歩きます。
お城とはすべからく山の上。つまり待たしても山登り。
綺麗に舗装されてるとはいえ、お城まで長い登り坂。
もはや死にそうでっすぅー。
今度は旦那様すらも私を待ってくれません。孤独。
へろへろになりながら坂道を登る。
とどめに階段。
これをあがってやっと館山城。
このお城は犬山城を模して再建された模擬天守なので、本当のお城がどんな造りだったのかは全く不明。
建築されたのが1580年(天正8年)、廃城となって破却されたのが1614年(慶長19年)と34年間しか存在してなかったせいか、記録にも残ってないようです。
この模擬天守、外見はいいのですが、中が博物館を兼ねているせいもあって、非常に無骨な鉄筋コンクリート丸出しの造りとなっていて、お城マニアには大変不評な一品となっておりますが、紺碧の空に映える白壁の城は素直に美しいです。
最も、外側が美しい分、内装の無神経さは落差が激しいです。
もちっとなんとかならなかったのか。
右手には浅間神社。
ちゃんとお参りしなかったのですが、拝殿の欄間の彫刻は波の伊八の作だとかどこかで見たような見なかったような、ぐぐっても出ない。今度行くことがあったらちゃんと見たいです。
「里見城址の碑」
館山城址でなく里見城址。愛を感じます。
里見桜の由来の看板。
桜の季節にはまだ早かったのですが、梅が綺麗でした。
館山城から見た富士山。
写真ではほとんどわかりませんが、この真ん中辺に富士山が。
肉眼ではとても綺麗に見えたのにくやしいのうくやしいのうぅぅぅぅぅぅ
富山よりも館山の方が梅が満開でした。
水仙も満開。
いやぁ春だねぇ~なんつってたこのとき、九十九里では何と雪が降っていたそうな…
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
PM 13:00 道の駅三芳村 鄙の里
滝田城攻略に2時間も費やしてしまったのは、明らかに私が悪いです。ごめんなさい。
ここでお昼。
娘はラーメン。(ラーメン好き)
息子はミートソース。(ミートソース好き)
旦那はかき揚げ丼。私はとろろそばを食べました。大変おいしゅうございました。
ここ、旧・三芳村(現・南房総市)は、日本酪農発祥の地なんだそうで、ここにきたらソフトクリームを食べるべき!らしいんですが、ごめんなさい。寒くて無理でしたwww
この駅は足湯とかもあって、山登りで疲れた足をリフレッシュ。
びわせっけんとかお花のアロマとかもあって、女子力高くなりそう。
売り場全体が、ほんわりとお花のいい香りがしていました。
旦那にチーバ君ネクタイを買ってあげました。
さて、この道の駅でも八犬伝らしさは店内に飾られたこの伏姫と八房の絵しかありませんでした。
これも伏姫神の絵ですね。
八房は牛柄です。
なんというか、富山からこっち、クローズアップは八犬士よりもむしろ伏姫&八房であるようです。
犬掛地区でも、毛野の居城の設定とかには一切全く触れられていなかったしね。
そしてやはり八犬伝グッズはなし。
なんでかなぁぁあああぁぁああああ~~~~~~~
八犬伝より、牛乳メイン。びわメイン。チーバくんメイン。
八犬伝なんかに頼らなくても特産品いっぱいあるの、てなとこなのかな…。なんだか寂しいなぁ
八犬伝めぐりで南下してくると、ここがちょうど中間地点になってて、気分はいい感じに盛り上がってるんだけどな・・・
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
PM 13:00 道の駅三芳村 鄙の里
滝田城攻略に2時間も費やしてしまったのは、明らかに私が悪いです。ごめんなさい。
ここでお昼。
娘はラーメン。(ラーメン好き)
息子はミートソース。(ミートソース好き)
旦那はかき揚げ丼。私はとろろそばを食べました。大変おいしゅうございました。
ここ、旧・三芳村(現・南房総市)は、日本酪農発祥の地なんだそうで、ここにきたらソフトクリームを食べるべき!らしいんですが、ごめんなさい。寒くて無理でしたwww
この駅は足湯とかもあって、山登りで疲れた足をリフレッシュ。
びわせっけんとかお花のアロマとかもあって、女子力高くなりそう。
売り場全体が、ほんわりとお花のいい香りがしていました。
旦那にチーバ君ネクタイを買ってあげました。
さて、この道の駅でも八犬伝らしさは店内に飾られたこの伏姫と八房の絵しかありませんでした。
これも伏姫神の絵ですね。
八房は牛柄です。
なんというか、富山からこっち、クローズアップは八犬士よりもむしろ伏姫&八房であるようです。
犬掛地区でも、毛野の居城の設定とかには一切全く触れられていなかったしね。
そしてやはり八犬伝グッズはなし。
なんでかなぁぁあああぁぁああああ~~~~~~~
八犬伝より、牛乳メイン。びわメイン。チーバくんメイン。
八犬伝なんかに頼らなくても特産品いっぱいあるの、てなとこなのかな…。なんだか寂しいなぁ
八犬伝めぐりで南下してくると、ここがちょうど中間地点になってて、気分はいい感じに盛り上がってるんだけどな・・・
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
AM11:00 南房総市・上滝田・滝田城址
旧・富山町エリアの犬掛地区から88号線を更に南下して、旧三芳村エリアの滝田地区へ。
どこに行こうかとしているかと言うと、八犬伝の最初に出てくる里見家の居城、滝田城。
しかしこれもわかりづらかった・・・・・
まず、カーナビでは「滝田城址」は登録されていない。
なので、滝田城をぐぐって出てきた住所をナビに打ち込む。・・・が、これが大変なことになった。
ナビに従って田んぼと住宅に囲まれた細道をくねくね登る。
滝田城は山城。ゆえに滝田地区も斜面に展開している。この道がまた怖い。
細いくせに急カーブで急斜面だったりするのだ。
住んでる方々には申し訳ないのだが、よそ者には本気で怖い道。
車高の高いワンボックスだったので、ほんとにほんとに怖かった。
こんな道を行くのがほんとに正解なのかと涙目になりつつ、ナビを信じる。と、やっと登城口に到着。
ちょっと薄暗い小さな駐車場でかなり寂しい感じだが、確かにここが滝田城址と書いてあるので登ってみることに。
子供達はノリノリで奥に進んでいく。
凄いな、お前ら。
「城主 一色九郎」とありますが、この人は城代で、4代義豊の義弟(妹婿)だったそうです。
写真左上に我が旦那様が見切れています。
子供達は例によってさっさと登っていってしまいました。
取り残されてママは悲しいです。
例によって千葉の山を舐めていましたが、結構な急斜面です。
最初のうちこそこんな感じで階段がついていましたが、徐々に単なる山道に。
断崖絶壁にくらくらします。
落ち葉で滑って何回か足をぐねってしました。痛いです。
城門跡。
登り始めてすぐ、馬場、物見台、虎口と案内板が出る。
かなり遺構は残ってる感じだったが、お城マニアではないので、いまいちよくわからず、それほど感動がない。薀蓄語るガイドさんが欲しい。
土塁もいっぱい築かれていたが、それが何なのかわからない。自分の不勉強を恥じる。
曲輪(くるわ)
弐の郭
主郭。
やっとこさで本丸まで登る。
しかし子供達は既にいなーい。
更に先に進んだと思われる。まじでか。お前らの体力は無尽蔵か。
ここが主郭ということは、八犬伝では、敵に追い詰められた里見パパ実が、まさにここで「敵の首を取ってきた者に伏姫たん娶わせるお」と、全ての発端になった一言を放つわけですな。
同じく主郭。
もはや私、息も絶え絶え。
山のてっぺん。主郭櫓台。
しかし、東京電力の無骨な鉄塔が建っていて、なんか残念感。
お山の宿命か。
ここでやっと子供達と合流。
主郭櫓台から急な階段を下りると、南側の曲輪に展望台があった。
息子は大喜びで勇んで登る。
娘はびびって怖気づく。
我が家のいつものパターン。
展望台の上からの眺望。城下が一望できる。
北側にはさっき行ってきたばかりの伏姫籠穴のある富山があるはずだが、ぶっちゃけ四方を山に囲まれていて、どれが富山なのかわからない。
海も近いはずなのに、山に阻まれていて全く見えない。
展望台の近くにある伏姫と八房の像。
八房が伏姫の乗騎となっていて、雲の上を飛翔しているので、たぶん、伏姫が死後、神格化してからの像。
伏姫美しい。この八房も尻尾くるん。かわゆす。
像の足元には八犬士の玉が散らばっている。良い。
無事下山し、車に戻ろうとしたところで、ふと、案内図に気づく。
それを見たら、なんと登山口が二つある。
もしかして、逆側から行った方が楽に登れたんじゃないだろうか…。
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
AM11:00 南房総市・上滝田・滝田城址
旧・富山町エリアの犬掛地区から88号線を更に南下して、旧三芳村エリアの滝田地区へ。
どこに行こうかとしているかと言うと、八犬伝の最初に出てくる里見家の居城、滝田城。
しかしこれもわかりづらかった・・・・・
まず、カーナビでは「滝田城址」は登録されていない。
なので、滝田城をぐぐって出てきた住所をナビに打ち込む。・・・が、これが大変なことになった。
ナビに従って田んぼと住宅に囲まれた細道をくねくね登る。
滝田城は山城。ゆえに滝田地区も斜面に展開している。この道がまた怖い。
細いくせに急カーブで急斜面だったりするのだ。
住んでる方々には申し訳ないのだが、よそ者には本気で怖い道。
車高の高いワンボックスだったので、ほんとにほんとに怖かった。
こんな道を行くのがほんとに正解なのかと涙目になりつつ、ナビを信じる。と、やっと登城口に到着。
ちょっと薄暗い小さな駐車場でかなり寂しい感じだが、確かにここが滝田城址と書いてあるので登ってみることに。
子供達はノリノリで奥に進んでいく。
凄いな、お前ら。
「城主 一色九郎」とありますが、この人は城代で、4代義豊の義弟(妹婿)だったそうです。
写真左上に我が旦那様が見切れています。
子供達は例によってさっさと登っていってしまいました。
取り残されてママは悲しいです。
例によって千葉の山を舐めていましたが、結構な急斜面です。
最初のうちこそこんな感じで階段がついていましたが、徐々に単なる山道に。
断崖絶壁にくらくらします。
落ち葉で滑って何回か足をぐねってしました。痛いです。
城門跡。
登り始めてすぐ、馬場、物見台、虎口と案内板が出る。
かなり遺構は残ってる感じだったが、お城マニアではないので、いまいちよくわからず、それほど感動がない。薀蓄語るガイドさんが欲しい。
土塁もいっぱい築かれていたが、それが何なのかわからない。自分の不勉強を恥じる。
曲輪(くるわ)
弐の郭
主郭。
やっとこさで本丸まで登る。
しかし子供達は既にいなーい。
更に先に進んだと思われる。まじでか。お前らの体力は無尽蔵か。
ここが主郭ということは、八犬伝では、敵に追い詰められた里見パパ実が、まさにここで「敵の首を取ってきた者に伏姫たん娶わせるお」と、全ての発端になった一言を放つわけですな。
同じく主郭。
もはや私、息も絶え絶え。
山のてっぺん。主郭櫓台。
しかし、東京電力の無骨な鉄塔が建っていて、なんか残念感。
お山の宿命か。
ここでやっと子供達と合流。
主郭櫓台から急な階段を下りると、南側の曲輪に展望台があった。
息子は大喜びで勇んで登る。
娘はびびって怖気づく。
我が家のいつものパターン。
展望台の上からの眺望。城下が一望できる。
北側にはさっき行ってきたばかりの伏姫籠穴のある富山があるはずだが、ぶっちゃけ四方を山に囲まれていて、どれが富山なのかわからない。
海も近いはずなのに、山に阻まれていて全く見えない。
展望台の近くにある伏姫と八房の像。
八房が伏姫の乗騎となっていて、雲の上を飛翔しているので、たぶん、伏姫が死後、神格化してからの像。
伏姫美しい。この八房も尻尾くるん。かわゆす。
像の足元には八犬士の玉が散らばっている。良い。
無事下山し、車に戻ろうとしたところで、ふと、案内図に気づく。
それを見たら、なんと登山口が二つある。
もしかして、逆側から行った方が楽に登れたんじゃないだろうか…。
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
AM:10:50 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像。
さて、ここ犬掛地区は、南総里見八犬伝の中では、八房生誕の地として描かれています。
犬掛お堂前の農道を直進し、突き当たり手前を右折してちょっと行くと、春日神社という神社があります。
この麓に伏姫の愛犬、八房の像があります。
ここにある説明文にはこんな感じのことが書いてあります。
うん。
・・・・いや。
まてまて。
これだけ読むと確かになんかちょっといい話っぽいけど、ちょっと待て。
あれ、この文書いた人、八犬伝読んだ事ないのかな。はたまた読んだ上で因縁はどうあれ異種族同士の親子愛ウツクシスなのかな。
南総里見八犬伝を読むと、これがまさに因縁と怨念がどろどろに渦巻く怪奇な光景となるのだけれど、そこんとこは華麗にスルーか。南房総市のスルーりょくパネェっす。
何しろ八房は、のちに神格化した伏姫神の乗騎となるせいで聖獣の如く扱われていますが、そもそも諸悪の根源・玉梓の生まれ変わりにして怨念の塊。
この狸も八房に乳を与え続けたせいで、玉梓の怨念が一部乗り移っていて、八房が浄化したあとも里見家に祟り続け、あげく八百比丘尼に化けてボス化するのだ。
仔犬に乳をやりに狸が山を降りてくる部分も、母性愛あふれるほのぼのとした描写ではない。
黄昏時、鬼火か人魂かという光が滝田の方から閃き来て、中空から音を立てて落ちたかと思うと犬小屋の傍で忽然と消える。するとそれに誘われたかのように富山の方から狸が走ってきて犬小屋に入り仔犬に乳をやる、という光景は、ぶっちゃけちょっと怖い。
まず、時間帯がおかしい。黄昏時って。
黄昏の読みは「たそがれ」。語源は「誰そ彼」で、日が暮れて暗くなってきて向こうから人が来ても「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と訊ねないといけないほど人の顔がわからない時間、という意味だ。
そしてこの黄昏時の別名は「逢う魔が時」。読んで字の如く、魔物に会いそうな時間の事で、つまり、「日が暮れて暗くなってきて人の顔もわからないから、もしかしたら向こうからやってくるのは化け物や魑魅魍魎の類かもしれないよ。気をつけて」みたいな、ちょっと警戒の色を含んだ時間帯なのだ。
ついでに言うと、「逢う魔が時」は読みは同じで字を変えた「大禍時」という表記もある。大いなる災いが起きる時間、という意味。
人間の乳児ですらこの時間帯になると何故か理由もなしに泣き出す「黄昏泣き」をすることもあって、赤ん坊が大人には見えない魔を感知してるから、といわれたりすることもある時間なのだ。
次に、現れる光とやらがおかしい。
八犬伝で光といえば、すぐ思い出されるのは伏姫割腹時の傷口から流れ出た「白気」。
白く輝く不思議な光で、姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
この文章だけでとても美しい情景が眼に浮かぶ。
が、八房と狸の逸話に現れる光は、「鬼火か人魂か」なのである。
夕暮れ時に鬼火か人魂か…って、完全にホラー。
覗き見ちゃったお百姓さんもよく漏らさなかったものである。
これを「美しい動物物語」と言い切っちゃった南房総市の人、力技にも程がある。
まぁ、怨念の物語、とは、観光案内板には書けないかもしれないが。
像の八房は、短毛・鼻面しゅっ・三角立ち耳ピン・巻き尻尾くるん、と、柴犬っぽい典型的な日本犬の特徴を備えています。
これは「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も同じ。
八犬伝刊行当時の挿絵の浮世絵の八房も、そんな感じで描かれています。(絵によってはちょっと長毛っぽく見えるものもある)
大きさは子牛ほどというから、かなりの大型犬。
今、日本犬で一番大型なのは秋田犬だけど、それよりでかい。
体に八つの牡丹の花のような斑があることから「八房」と名づけられたとか。ブチ犬かわゆす。
浮世絵とか、道の駅に展示されてた像とかの八房は、黒ぶちの犬なんだけど、個人的には「牡丹の花のような」と形容されるなら黒ぶちより柔らかな色合いの茶ぶちの方がそれっぽいなぁ。
黒いブチだと、「牡丹の花のよう」というよりは「牛のよう」という形容になると思う。
子牛ほどの大きさで牛柄って、まんま牛だよね。もはや牛だよね。犬じゃなく。
「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も黒ブチだったので、とても牛柄でした。
この春日神社にある像はカラーリングしていないので、模様はわかりません。
ともあれ、がしっとしたイケメン犬とちまっとした狸の像には子供達のテンションも上がっておりました。
我が家で柴犬を飼っているせいか、こういう犬はかわゆすですな。
八房の像を見たらここ犬掛の御用は全部終了なんだが、もう一つ、心に留めておきたいことがあるので、改めてこの犬掛という場所をぐるっと見渡しておく。
今はのどかな田園風景がただ広がるばかりの犬掛地区。
史実ではここで犬掛の合戦という里見氏同士の戦いがあり、更に里見家3代当主と5代当主のお墓もある。お寺もあったらしい。
八犬伝では八房が生まれたところであり、そして!これだけは外せない。毛野ファンとして。
ここ、犬掛は、物語の終盤で、八犬士の一人、超絶美形男の娘にして策士&軍師の、私と娘の超押しメンw犬坂毛野たんが城を構えたところでもあるのだ。
もちろん史実ではここに城があったという記録はない。寺はあったらしいが。周囲の城跡は全て山の中にあるのに比べて、犬掛は辺り一面平野すぎる。
でもでも、毛野たんが!毛野たんの城がここに!と思うだけでテンションだだあがり。
田んぼの奥はちょっと森深くなっていて、少し高台なので、きっときっとこの森の辺りにお城があったに違いない!
北西に聖地・富山を、南西に全ての因縁の始まり・滝田城を望む、この地に。
そんな感じで、毛野たんの残り香をムリヤリ嗅ぎながら、我らファミリーは次なる目的地、滝田城へ!
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
AM:10:50 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像。
さて、ここ犬掛地区は、南総里見八犬伝の中では、八房生誕の地として描かれています。
犬掛お堂前の農道を直進し、突き当たり手前を右折してちょっと行くと、春日神社という神社があります。
この麓に伏姫の愛犬、八房の像があります。
ここにある説明文にはこんな感じのことが書いてあります。
- 百姓の家に仔犬が生まれる。
- 母犬は狼に食い殺される。
- 百姓は独り者で野良仕事が忙しく子犬を育てられない。
- 仕方なくほったらかしていたが何故か仔犬は丸々と成長していく。
- 不審に思った百姓が覗き見すると、富山の方角から年老いた狸が仔犬に乳を与えにきていた。
- 狸に育てられた犬として有名になる。
- 里見パパ実が噂を聞きつける。
- 仔犬は八房と名づけられて伏姫の愛犬となる。
- 狸に育てられた名犬という美しい動物物語として語り継がれている。
- この美しい物語を語り伝えようと像を建立した。
うん。
・・・・いや。
まてまて。
これだけ読むと確かになんかちょっといい話っぽいけど、ちょっと待て。
あれ、この文書いた人、八犬伝読んだ事ないのかな。はたまた読んだ上で因縁はどうあれ異種族同士の親子愛ウツクシスなのかな。
南総里見八犬伝を読むと、これがまさに因縁と怨念がどろどろに渦巻く怪奇な光景となるのだけれど、そこんとこは華麗にスルーか。南房総市のスルーりょくパネェっす。
何しろ八房は、のちに神格化した伏姫神の乗騎となるせいで聖獣の如く扱われていますが、そもそも諸悪の根源・玉梓の生まれ変わりにして怨念の塊。
この狸も八房に乳を与え続けたせいで、玉梓の怨念が一部乗り移っていて、八房が浄化したあとも里見家に祟り続け、あげく八百比丘尼に化けてボス化するのだ。
仔犬に乳をやりに狸が山を降りてくる部分も、母性愛あふれるほのぼのとした描写ではない。
黄昏時、鬼火か人魂かという光が滝田の方から閃き来て、中空から音を立てて落ちたかと思うと犬小屋の傍で忽然と消える。するとそれに誘われたかのように富山の方から狸が走ってきて犬小屋に入り仔犬に乳をやる、という光景は、ぶっちゃけちょっと怖い。
まず、時間帯がおかしい。黄昏時って。
黄昏の読みは「たそがれ」。語源は「誰そ彼」で、日が暮れて暗くなってきて向こうから人が来ても「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と訊ねないといけないほど人の顔がわからない時間、という意味だ。
そしてこの黄昏時の別名は「逢う魔が時」。読んで字の如く、魔物に会いそうな時間の事で、つまり、「日が暮れて暗くなってきて人の顔もわからないから、もしかしたら向こうからやってくるのは化け物や魑魅魍魎の類かもしれないよ。気をつけて」みたいな、ちょっと警戒の色を含んだ時間帯なのだ。
ついでに言うと、「逢う魔が時」は読みは同じで字を変えた「大禍時」という表記もある。大いなる災いが起きる時間、という意味。
人間の乳児ですらこの時間帯になると何故か理由もなしに泣き出す「黄昏泣き」をすることもあって、赤ん坊が大人には見えない魔を感知してるから、といわれたりすることもある時間なのだ。
次に、現れる光とやらがおかしい。
八犬伝で光といえば、すぐ思い出されるのは伏姫割腹時の傷口から流れ出た「白気」。
白く輝く不思議な光で、姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
この文章だけでとても美しい情景が眼に浮かぶ。
が、八房と狸の逸話に現れる光は、「鬼火か人魂か」なのである。
夕暮れ時に鬼火か人魂か…って、完全にホラー。
覗き見ちゃったお百姓さんもよく漏らさなかったものである。
これを「美しい動物物語」と言い切っちゃった南房総市の人、力技にも程がある。
まぁ、怨念の物語、とは、観光案内板には書けないかもしれないが。
像の八房は、短毛・鼻面しゅっ・三角立ち耳ピン・巻き尻尾くるん、と、柴犬っぽい典型的な日本犬の特徴を備えています。
これは「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も同じ。
八犬伝刊行当時の挿絵の浮世絵の八房も、そんな感じで描かれています。(絵によってはちょっと長毛っぽく見えるものもある)
大きさは子牛ほどというから、かなりの大型犬。
今、日本犬で一番大型なのは秋田犬だけど、それよりでかい。
体に八つの牡丹の花のような斑があることから「八房」と名づけられたとか。ブチ犬かわゆす。
浮世絵とか、道の駅に展示されてた像とかの八房は、黒ぶちの犬なんだけど、個人的には「牡丹の花のような」と形容されるなら黒ぶちより柔らかな色合いの茶ぶちの方がそれっぽいなぁ。
黒いブチだと、「牡丹の花のよう」というよりは「牛のよう」という形容になると思う。
子牛ほどの大きさで牛柄って、まんま牛だよね。もはや牛だよね。犬じゃなく。
「道の駅 富楽里とみやま」に展示されていた八房の像も黒ブチだったので、とても牛柄でした。
この春日神社にある像はカラーリングしていないので、模様はわかりません。
ともあれ、がしっとしたイケメン犬とちまっとした狸の像には子供達のテンションも上がっておりました。
我が家で柴犬を飼っているせいか、こういう犬はかわゆすですな。
八房の像を見たらここ犬掛の御用は全部終了なんだが、もう一つ、心に留めておきたいことがあるので、改めてこの犬掛という場所をぐるっと見渡しておく。
今はのどかな田園風景がただ広がるばかりの犬掛地区。
史実ではここで犬掛の合戦という里見氏同士の戦いがあり、更に里見家3代当主と5代当主のお墓もある。お寺もあったらしい。
八犬伝では八房が生まれたところであり、そして!これだけは外せない。毛野ファンとして。
ここ、犬掛は、物語の終盤で、八犬士の一人、超絶美形男の娘にして策士&軍師の、私と娘の超押しメンw犬坂毛野たんが城を構えたところでもあるのだ。
もちろん史実ではここに城があったという記録はない。寺はあったらしいが。周囲の城跡は全て山の中にあるのに比べて、犬掛は辺り一面平野すぎる。
でもでも、毛野たんが!毛野たんの城がここに!と思うだけでテンションだだあがり。
田んぼの奥はちょっと森深くなっていて、少し高台なので、きっときっとこの森の辺りにお城があったに違いない!
北西に聖地・富山を、南西に全ての因縁の始まり・滝田城を望む、この地に。
そんな感じで、毛野たんの残り香をムリヤリ嗅ぎながら、我らファミリーは次なる目的地、滝田城へ!
※この記事は後日作成していますが、当日の日付で投稿しています。
県道258号線に戻り、そのまま更に進みます。
前述したとおり、旧・富山町は水仙一押しの町。
富山も水仙が辺り一面に咲き乱れ、車道の路肩もずーーーっと水仙が咲いています。
更にはなんと街灯が水仙。
どんだけ水仙好きか!
そんなのどかな県道258号線を道なりにどんどん東に行くと、犬掛交差点に出ます。
ここを右折。県道88号線を南下。
で、ここで困った。
次なる目的地は、犬掛交差点を右折して88号線をちょっと南下した辺りで左折すればいい、というのはわかっている。
が、どこで左折すればいいのかわからない。
岩井駅のウォーキングセンターでもらったウォーキングマップはウォーキング用であってドライブ用ではないために、非常にざっくりとしている。
事前に入手していた情報によれば、案内板が出てるはずなのだ。
案内板を左折・・・すればいいはずなのに、その案内板が車からでは全くわからない。
困る私。私が使い物にならないので苛立つ亭主。その苛々の余波を受けてますます困る私。
うちの旦那様は普段大変に温厚な人なのですが、ハンドル握ると短気になるのです。
県道88号線を何度も行ったりきたりする私達の車。
ざっくりしたウォーキングマップを亭主に見てもらって、やっと、消防署の先を左折すればいいとわかる。
ほんとごめんなさい。旦那様。地図の読めない嫁でほんとごめんなさい。
でもでもこの地図も絶対に悪いと思うのよ!
だから岩井駅さんはドライブ用のドライビングマップを以下略。
消防署を左に見て、「犬掛お堂前」というバス停脇の細い道に入る。
よーーーーーーーーーく見ると、この道の入口に、「古戦場と里見氏の墓」と書いた案内板発見。
案内板ってこれか!!!
しかも板が劣化していて文字は全く読めない。
歩きだったらわかるかもしれないけど、車からこの文字を読めったってそれは無理さ!!
写真撮っとけばよかった。ほんっとに全く読めないの。案内板くらい定期メンテして!誰か知らんけど南房総市の人!せめて読めるようにして!
犬掛お堂前の細道ははっきり言って農道。
右も左も田んぼと畑。
そこをまっすぐ突き当りまで行き、左へ更に進むと里見氏の墓・・・が、あるはず。なのですが、やはり案内板などはない。
しかも道は更に細い完全な農道に。
車で行けると事前情報を得ていたが、車で行くに適した道ではない。
地元の人にとっては慣れた道でも、よそから来た人間にとって知らない道は怖い。とても怖い。
対向車が来たら絶対にすれ違えない。そしてこのまま進んで向こう側に抜けられるところがあるのかどうかもわからない。Uターンできるところがあるのかもわからない。
かといって手前に駐車場があるわけでもなければ、近隣に有料駐車場があるわけでもなければ、この先は徒歩で行くといいですよ的案内板があるわけでもない。伏姫籠穴と全く同じ不親切さ。
拒まれてる気すらする。つか、あんまりウェルカムムードがない。あんまりっていうか、ほとんどない。指定史跡なのに。
もしかしてあまり来て欲しくないところだったのかもしれないけれど、でももし、観光客にもう少し優しくしていただけるなら、この突き当りの地点に【 ←里見氏の墓 | 八房の像→ 】という立て札の一つも建てくれるといいなぁ。
そんなわけで、ほんとにここを行っていいのかどうか不安になる私。
更に運転手である亭主は、富山で崖っぷちの山道を走らされた直後なので、うちのワンボックスで狭い農道を通行するのを嫌がりだす。
仕方ないのでより狭い左折を断念し、まだ楽そうな右折をする。
ちなみに、行くはずだったここにある里見氏のお墓は、里見義通(3代)と里見義豊(5代)のもので、高さ60㎝位、室町時代の多層塔という様式のお墓なんだそうです。
昔はこの辺りに菩提寺があったらしいのですが、廃寺になったため、お墓のみこちらに移されたそうです。
ここら辺一帯は、里見氏同士の骨肉の争いを演じたといわれる犬掛の合戦の古戦場跡となっていて、その碑もあります。
南房総市の建てた説明板によれば、
この説明文によると、3代義通の息子の義豊が5代となっているので、後見役の叔父の実堯を4代と数えているようなんだけども、wikipedia先生を参照すると、本来後見人であるならば当主とは数えないそうなので、義豊は5代でなく4代が正しく、また、近年の研究ではそもそも叔父の実堯が後見人であったとする記録も後世の創作とされているんだそうな。
更に3代義通と実堯の兄弟の父とされている2代成義についても、一次史料が現存せず、伝えられる事跡についても裏づけを取ることができるものがないため、何らかの必要性があって捏造された架空の人物である可能性が高い人なんだそうで、義通・実堯兄弟の父は、初代義実であると考える説が有力になっているとか。
とすると、更に代は繰り上がり、3代とされている義通は実は2代、5代とされている義豊は3代になる事になる。
安房里見氏は、俗に「里見10代」と言われていて、南総里見八犬伝の中でも、「里見氏は10代で滅亡」と書かれているけれども、近年の研究に基づくならば、正しくは安房里見氏は8代で滅した事になる。
何しろ我らが伏姫たんが、パパ実こと安房里見氏初代当主・里見義実の娘と設定されているので、3代と5代となると子世代孫世代となるのだね。
初代パパ実は前述の通り、物語の全ての因果の種を蒔いた人。
その息子である2代成義は、wikipediaで架空の人物かもと書かれているが、物語では義成という名前で伏姫たんの弟として出てくる。シスコンこじらせたり後半のボスキャラの女にたぶらかされたりするが、八人の娘と二人の息子に恵まれる。八人の姫はそれぞれ八犬士の嫁となり、二人の息子が義通と実堯。
このうち長男・義通は、幼少時に後半のボスキャラに拉致られ、八犬士の一人・チート親兵衛に助けられる。物語のラストバトル(八犬伝オリジナルの架空大戦)のあと、里見家3代当主になるが若くして死去。
義通の子の義豊はまだ幼かったため、義通の弟の実堯が4代当主となる。
この頃には八犬士も高齢となり、それぞれ息子に家督を譲って富山に退隠する。
八犬伝の物語そのものはここで終わるけれども、末文として実堯はのちに甥である義豊との間に史実の天文の内訌を起こし、道を失い戦乱に明け暮れた里見家は、その後10代で滅することとなる。と結ばれている。
のどかな田園風景の中に史実とフィクションの融合の妙を堪能しながら栄枯盛衰の理を忍ぶのもまた趣があるのではないでしょうか。
南総旅レポ記事一覧
- 南総里見八犬伝めぐり(1) 前置き
- 南総里見八犬伝めぐり(2) 道の駅 富楽里とみやま
- 南総里見八犬伝めぐり(3) 南房総市・JR岩井駅
- 南総里見八犬伝めぐり(4) 南房総市・伏姫籠穴
- 南総里見八犬伝めぐり(5) 南房総市・県道258号線 ←今ここ
- 南総里見八犬伝めぐり(6) 南房総市・犬掛地区・八房と狸の像
- 南総里見八犬伝めぐり(7) 南房総市・滝田城址
- 南総里見八犬伝めぐり(8) 南房総市・道の駅三芳村 鄙の里
- 南総里見八犬伝めぐり(9) 館山市・館山城
- 南総里見八犬伝めぐり(10) 館山市・館山城内部
- 南総里見八犬伝めぐり(11) 館山市・館山城南麓・八遺臣の墓
- 南総里見八犬伝めぐり(12) 館山市・館山城里見茶屋
県道258号線に戻り、そのまま更に進みます。
前述したとおり、旧・富山町は水仙一押しの町。
富山も水仙が辺り一面に咲き乱れ、車道の路肩もずーーーっと水仙が咲いています。
更にはなんと街灯が水仙。
どんだけ水仙好きか!
そんなのどかな県道258号線を道なりにどんどん東に行くと、犬掛交差点に出ます。
ここを右折。県道88号線を南下。
で、ここで困った。
次なる目的地は、犬掛交差点を右折して88号線をちょっと南下した辺りで左折すればいい、というのはわかっている。
が、どこで左折すればいいのかわからない。
岩井駅のウォーキングセンターでもらったウォーキングマップはウォーキング用であってドライブ用ではないために、非常にざっくりとしている。
事前に入手していた情報によれば、案内板が出てるはずなのだ。
案内板を左折・・・すればいいはずなのに、その案内板が車からでは全くわからない。
困る私。私が使い物にならないので苛立つ亭主。その苛々の余波を受けてますます困る私。
うちの旦那様は普段大変に温厚な人なのですが、ハンドル握ると短気になるのです。
県道88号線を何度も行ったりきたりする私達の車。
ざっくりしたウォーキングマップを亭主に見てもらって、やっと、消防署の先を左折すればいいとわかる。
ほんとごめんなさい。旦那様。地図の読めない嫁でほんとごめんなさい。
でもでもこの地図も絶対に悪いと思うのよ!
だから岩井駅さんはドライブ用のドライビングマップを以下略。
消防署を左に見て、「犬掛お堂前」というバス停脇の細い道に入る。
よーーーーーーーーーく見ると、この道の入口に、「古戦場と里見氏の墓」と書いた案内板発見。
案内板ってこれか!!!
しかも板が劣化していて文字は全く読めない。
歩きだったらわかるかもしれないけど、車からこの文字を読めったってそれは無理さ!!
写真撮っとけばよかった。ほんっとに全く読めないの。案内板くらい定期メンテして!誰か知らんけど南房総市の人!せめて読めるようにして!
犬掛お堂前の細道ははっきり言って農道。
右も左も田んぼと畑。
そこをまっすぐ突き当りまで行き、左へ更に進むと里見氏の墓・・・が、あるはず。なのですが、やはり案内板などはない。
しかも道は更に細い完全な農道に。
車で行けると事前情報を得ていたが、車で行くに適した道ではない。
地元の人にとっては慣れた道でも、よそから来た人間にとって知らない道は怖い。とても怖い。
対向車が来たら絶対にすれ違えない。そしてこのまま進んで向こう側に抜けられるところがあるのかどうかもわからない。Uターンできるところがあるのかもわからない。
かといって手前に駐車場があるわけでもなければ、近隣に有料駐車場があるわけでもなければ、この先は徒歩で行くといいですよ的案内板があるわけでもない。伏姫籠穴と全く同じ不親切さ。
拒まれてる気すらする。つか、あんまりウェルカムムードがない。あんまりっていうか、ほとんどない。指定史跡なのに。
もしかしてあまり来て欲しくないところだったのかもしれないけれど、でももし、観光客にもう少し優しくしていただけるなら、この突き当りの地点に【 ←里見氏の墓 | 八房の像→ 】という立て札の一つも建てくれるといいなぁ。
そんなわけで、ほんとにここを行っていいのかどうか不安になる私。
更に運転手である亭主は、富山で崖っぷちの山道を走らされた直後なので、うちのワンボックスで狭い農道を通行するのを嫌がりだす。
仕方ないのでより狭い左折を断念し、まだ楽そうな右折をする。
ちなみに、行くはずだったここにある里見氏のお墓は、里見義通(3代)と里見義豊(5代)のもので、高さ60㎝位、室町時代の多層塔という様式のお墓なんだそうです。
昔はこの辺りに菩提寺があったらしいのですが、廃寺になったため、お墓のみこちらに移されたそうです。
ここら辺一帯は、里見氏同士の骨肉の争いを演じたといわれる犬掛の合戦の古戦場跡となっていて、その碑もあります。
南房総市の建てた説明板によれば、
- 義豊8歳の時、父・義通が死去。叔父の実堯が後見役となる。
- しかし、義豊が成長しても実堯が家督を譲らなかったため、義豊は挙兵。
- 天文2年(1533年)、稲村城の実堯を急襲し、実堯は自害。
- 翌年、実堯の子・義堯が、父の仇である義豊を犬掛に攻める。
- 義豊は稲村城へと逃走。自害。
この説明文によると、3代義通の息子の義豊が5代となっているので、後見役の叔父の実堯を4代と数えているようなんだけども、wikipedia先生を参照すると、本来後見人であるならば当主とは数えないそうなので、義豊は5代でなく4代が正しく、また、近年の研究ではそもそも叔父の実堯が後見人であったとする記録も後世の創作とされているんだそうな。
更に3代義通と実堯の兄弟の父とされている2代成義についても、一次史料が現存せず、伝えられる事跡についても裏づけを取ることができるものがないため、何らかの必要性があって捏造された架空の人物である可能性が高い人なんだそうで、義通・実堯兄弟の父は、初代義実であると考える説が有力になっているとか。
とすると、更に代は繰り上がり、3代とされている義通は実は2代、5代とされている義豊は3代になる事になる。
安房里見氏は、俗に「里見10代」と言われていて、南総里見八犬伝の中でも、「里見氏は10代で滅亡」と書かれているけれども、近年の研究に基づくならば、正しくは安房里見氏は8代で滅した事になる。
- 但し、近年の研究によれば、当主として数えられていない、義弘の嫡男・義重が実際は当主として政務を行っていた形跡があり、これを正式な当主として数えるべき、という説もあるそうなので、この人を当主に加えると、里見は9代が末代となる。
何しろ我らが伏姫たんが、パパ実こと安房里見氏初代当主・里見義実の娘と設定されているので、3代と5代となると子世代孫世代となるのだね。
初代パパ実は前述の通り、物語の全ての因果の種を蒔いた人。
その息子である2代成義は、wikipediaで架空の人物かもと書かれているが、物語では義成という名前で伏姫たんの弟として出てくる。シスコンこじらせたり後半のボスキャラの女にたぶらかされたりするが、八人の娘と二人の息子に恵まれる。八人の姫はそれぞれ八犬士の嫁となり、二人の息子が義通と実堯。
このうち長男・義通は、幼少時に後半のボスキャラに拉致られ、八犬士の一人・チート親兵衛に助けられる。物語のラストバトル(八犬伝オリジナルの架空大戦)のあと、里見家3代当主になるが若くして死去。
義通の子の義豊はまだ幼かったため、義通の弟の実堯が4代当主となる。
この頃には八犬士も高齢となり、それぞれ息子に家督を譲って富山に退隠する。
八犬伝の物語そのものはここで終わるけれども、末文として実堯はのちに甥である義豊との間に史実の天文の内訌を起こし、道を失い戦乱に明け暮れた里見家は、その後10代で滅することとなる。と結ばれている。
のどかな田園風景の中に史実とフィクションの融合の妙を堪能しながら栄枯盛衰の理を忍ぶのもまた趣があるのではないでしょうか。